2011/07/19

なでしこの勝利に思う

 日本女子サッカーが金字塔をたてました。世界ランク1位のアメリカを破っての勝利。本当におめでとうございます。
 個人的には、安藤、熊谷の両選手が筑波大学の学生ということで、母校の選手の活躍に喜びも倍! 昨日は、みんなで喜んだ1日でしたね。

 私が印象的だったのは、まず選手がよく走ること。高いモチベーションでプレーしているように見えました。どうでしょうか。みんなサッカー好きなんだろうな。そして愛したサッカーから愛されているんだろうな。そんな気がしました。彼らが低賃金のパートで生計をたてながらサッカーに取り組んできたのは周知の通り。あらためてモチベーションとお金は関係ないことが証明されたように思います。

 次いで、インタビューに答える選手の話し方が実に自然であること。聞き手の質問に、的を外すことなく、偉ぶることなく的確に回答していました。これがちやほやされている若者にはなかなかできません。自分の世界で答えてしまう。失礼ながら男子のプロにはよく見かけます。多額の収入を得ると、どこかおごりがでるものですが、そうじゃないのが自然なコミュニケーションにつながっているのかもしれません。

 可笑しかったのは、表彰式で日本サッカー協会の小倉会長が選手一人ひとりと握手する場面。会長はハグ(抱擁)を求めるのに対し、多くの選手は会長との抱擁を喜んでいるようではありませんでしたねえ。まあ、若い女性がおじさんと抱擁が好きでないのは分かります。でもそれ以上に「私はあなたのお世話になっていない。なのにいいところになると突然でてくるのか」という様子に見えました。女子サッカーが男子以下の扱いを受けているのは各国同じでしょう。だから選手から見ればマイナスのカレンシーをさんざんもらってきている。会長が本来とるべきは、なれなれしい態度ではなく、固い握手と心のこもった謝辞だったはず。カレンシーの交換を阻む上位者の典型的な言動が見られたように思います。

 対して、佐々木監督が信頼されている様子も印象的でした。報道によると彼は選手を上から目線で見ないのだそうですね。ひとりひとり尊重し、よくコミュニケーションをとるのだそうです。私の研修に参加される男性管理職から「女性部下の扱いに困っている」と聴きますが、これからは「佐々木監督を見よ」と言えます。「女性部下」は言い訳にできませんよ。女性に限らず、若者や外国人のようなマイノリティーが含まれるチームを運営するときは、相手の尊重から始めることを忘れてはいけませんね。

 今日は職場でもなでしこの話で持ちきりですね。本当におめでとうございます。

2011/07/10

刑事コロンボ

 ピーター・フォークがなくなり、先週「刑事コロンボ」が再放送されていました。私が小学生だった頃、日本で放送が始まりました。また昨年ずっと再放送をしていたので、ずいぶん観たと思います。それでも今回の再放送のなかで「別れのワイン」は観た記憶がなかったなあ。

 ワイナリーの経営者は兄、オーナーは弟。ワインを愛し、20年以上ワイナリーに全勢力を傾けてきた兄と、会社だけを相続し、しかし経営は兄に任せて遊びほうけている弟。金に困った弟が、会社を得ると行ったのを聞いた兄が、思わず弟を殺してしまう。そんなドラマの始まりでした。例によって完全犯罪に至るはずですが、コロンボは早々に誰が犯人か見抜いてしまいます。そして、その裏付けをとっていく。

 なぜ、コロンボは犯人に早くから目星をつけられるのか。それは相手の置かれている立場にたって状況を見ているからに他なりません。この場合、兄は会社にすべてを投入してきた。それだけ投資すれば、何らかの形で元をとりたいし、そのチャンスを奪われるのは許し難い。弟に対しても同様。ずっと面倒みてきたのに、恩を仇で返すようなことをする(と兄は思っている)。だから、兄が弟を手にかけるのは不思議ではない。このドラマがいいのは、容疑者の兄がどう見ても善人に描かれている点。現実は、性格がいいかなど関係ないということが強調されています。そう、殺人の動機は、かならず周囲の状況にあると考えているわけです。

 そして、いつものコロンボのスタイルで相手の懐に入っていく。まずは相手を尊重するところから。コロンボはワインを勉強して容疑者宅に赴き、出されたワインを利き当てます。相手は驚き油断ならないと思っても、かえって心にスキができる。このカレンシーの交換がコロンボならではです。古畑任三郎にも通じる部分であり、「古畑任三郎」がよく描ききっていない部分だと思います。「かみさん」もそう。今回古いドラマを見て気づいたのは、ベビーシッターがどうとかいって、子どもがいたことになっているのですが、後の作品には子どもはいないことになっている。まあ、かみさんの話は、やはり自分が女房の尻に敷かれる男を演じて下手に出る戦術だったんだなあ。いずれにしても、コロンボが容疑者に敬意を払いつつ、相手から真実を引き出してしまう術に、あらためて引きずり込まれました。

 さて、部下から何かを引き出したいのでしたら、コロンボを観るのは悪くありませんよ。巧みな交換にヒントが見つかるはずです。まずは、部下に敬意を払うこと。真剣に話を聴き、真摯に応え対応すること。それだけで部下の態度は変わると思います。

 「刑事コロンボ」、ビデオでも借りられるんですね。でもコロンボの吹き替えは、小池朝雄がいいな。

2011/07/08

ケネディ家のひとびと

 出張先で海外ドラマ「ケネディ家の人々」に目が釘付けになりました。ちょうどキューバ危機に直面し、ホワイトハウスは緊張に包まれています。国務省、軍部、大統領側近がそれぞれの立場から、大統領に決断を迫ります。一部のメンバーは先制攻撃せよと言う。ソビエト共産党書記長は必ずミサイルを撃ち込んでくる、「フルシチョフはそういう(暴挙に打って出る)男です」。対してケネディはフルシチョフの背後の強硬派を意識します。書記長は、クレムリン強硬派を抑えられるだろうかと。

 このような考え方は、影響力の法則に通じるものです。相手の性格を考えるのではなく、相手が動かなければならないような状況を考慮する。そのひとつひとつに対処できれば、こちらの意に沿う結果を得られるというものです。

 このケース、国家のトップとはいえ、関係者の動きを抑えられなければ、自分の意思に反する決断をしなければならないこともある。フルシチョフ自身は好戦家でないことを知っているケネディは、相手が不本意な決断をしないですむ方法を探っていきます。そして、フルシチョフが強硬派を説得できるような情報を提示していく。たとえば、演説ではアメリカ国民に合衆国は腰砕けではないといいながら、こちらから先制攻撃することはない、とも示唆する。そうして互いに相手が関係者に対して使えるカレンシーを渡し、交渉を成功に導いていました。

 相手の性格よりその背後を見る、背後を動かせるカレンシーを相手に渡す。影響力が高い人がとる戦術、さすがは国のトップだと感心しました。

2011/07/06

復興担当大臣が渡した負のカレンシー

 今日は、松本龍復興担当大臣の辞任が話題になりました。ご本人のことはよく存じませんが、親の遺産(地盤)とはいえ20年も国政に携わってきたベテラン、昨年の名古屋議定書を交渉の末にまとめた功労者、それなりに社会的な責任がおありな方が、またしてもこんなことをしてしまいました。残念としかいいようがありません。

 私はこの人が「影響力の法則は、カレンシーの交換にある」ことを知っていたらなあ、こんな馬鹿なことにはならないのになあ、と思います。すなわち、相手を動かし味方につけたければ、相手が価値ある何かを差し出さなければならない。逆に相手がいやがることをやれば、自分の進路は妨げられる、ということです。影響力の法則に則らなくても果たせる役割はあります。自分ひとりになっても完遂できるような業務、つまり比較的単純な仕事です。しかし、今回の復興支援のようなすべての国民が当事者としてかかわらなければ果たせないようなプロジェクトであれば、そうはいきません。たとえば、消費税率を大幅に引き上げるのを、国民の理解なしに進められるはずがありません。多くの人たちに犠牲、協力を頼もうと思ったら、それはひたすら正のカレンシーを渡すしかありません。

 カレンシーといっても、お金や道路の建築ではないはず。負担が増えるが、子孫代々繁栄する世の中や、子供たちがワクワクするような夢を描くなど。また国民一人ひとりが復興に協力している、という責任感を感じることもカレンシーになります。誰でも自分が人や社会の役に立ちたいのですから。

 しかし実際の交換は、「見下した態度」と「辞任圧力」でしたね。本当にがっかりです。彼らはリーダーシップが人の上手に立つことだと誤解しているんじゃないでしょうか。彼らとは、一部の国政にかかわる人たちのことです。あんな口ぶり、サングラス、すべてがとんでもない誤解です。ヒトラーがリーダーだったと思っているんでしょうか?鳩山政権以来そのために国民の支持を失っていることに気付かなければ、いつまでたってもやってしまうでしょう。そりゃ、官僚は簡単には動きません。長年、自民党にコミットしてきた人たちなんですから。官僚の立場に立ってみれば、長年カレンシーの交換をしてきた信頼できる政治家と、突然やってきたこちらの言うことが分かるのかどうか不安な政治家では、対応が違ってしまうのは当然でしょう。外資に買収された日本の伝統企業で従業員が幹部の言うことを行かないのと一緒です。だからといって、切れてしまっては、負のカレンシーの交換になって、政治家はリーダーシップを失うだけですよ!

 こう書きながら、我が身を振り返って反省することばかりです。ひとつひとつできることをやるしかないな、と自分にも言い聞かせています。

チャベス大統領の帰国と歌

 ベネズエラのチャベス大統領が帰国しました。キューバを訪問するなり入院。ガンの手術治療を受けていたのだそうです。帰国する大統領を歓迎する市民の様子が報道されていますが、その熱狂ぶりには驚かされます。
 このニュースで印象的だったのは2点。大統領がわざわざキューバに治療に行ったということ。キューバの医療技術は世界屈指といわれており、とくに医療による国際援助はキューバ外交の生命線とのこと。アメリカと対立するキューバ生き残りの戦術でもあります。この弱小国が、教育で成りたっていることは印象深いものです。
 もうひとつは、帰国した大統領が、空港で歌を歌ったという下り。へえ、と感心しました。動物番組など観ていると、しばしば雄が雌に性的アピールをするために、歌ったり踊ったりしています。歌や踊りは重要なコミュニケーションの手段なのです。人類も古くから歌でメッセージを伝えてきました。メッセージという意味のキリスト教のミサでは、必ず賛美歌が歌われます。今日、久しぶりにプロ野球の試合を観に行きました。試合前には国歌斉唱、試合中には熱狂的なファンがなにやらずっと歌っていました。歌はメッセージを伝えるだけでなく、人々の気持ちを高揚させます。そういえば、以前ロシアのエリツィン大統領は選挙戦で酔っぱらって歌ったり踊ったりしていましたっけ。ああ、プーチン首相も最近どこかで歌っていました。ロシアばかりかと思ったら、ある意味で当然ではありますが、中南米に位置するベネズエラでも歌うんですね。リーダーが!
 リーダーが歌うのが、メンバーにとってカレンシーになる国があるんじゃないでしょうか。日本はどうか。部長がカラオケでマイクを離さない、というのはイマイチですね。とはいえ、歌で人々を惹きつけられる部分はあるのではないかと思いますが、いかがでしょうか?
 今、菅首相が歌ったらどうか。それは絶対にやめたほうがいい。国民は今日の松本事件を含めて多大な負のカレンシーを受け取ってきたと思っていますから、何をやっても好かれないでしょう。あなたの上司には勧めますか?私はできるかどうかはともかく、何かを歌ったら何が伝わるのかを、考えてみる価値はあると思います。

2011/06/24

読者のみなさんとの再会

 関西を訪ねたのは楽しかった!読者であり、講演の聴衆であった方たちを訪問。みなさんの近況を伺いながら、こちらの次回作にアドバイスをいただきてきました。

 今回お目にかかったみなさんは、みなレベルが高いと感じます。それぞれすばらしい仕事をなさっている。信頼に足る結果を残し、現在の役割を獲得してきています。そして「影響力の法則」を使って、社内を縦横無尽につなぎまわり、味方につけている印象、まさに自由自在です。
 私の印象では、この方たちのうち少なくとも2人は将来社長候補になると感じました。もちろん、彼らにはポテンシャルがあるのです。長くリスクを負い、精進されてきています。苦労してリーダーとしての可能性をはぐくんでこられた。だからこそ「影響力の法則」にピンと来てくださった。そして即実行。ここがすばらしいですね。即実行は、即布施でもあります。ミッションに忠実です。いずれ、彼らの事例はご紹介したいと思います。

 というわけで、たいへん勉強になり、とても気持ちよい関西訪問でした。
 こういう機会をいただき、本当にありがたい。心から感謝します。

2011/06/06

しらすの損失と藤沢武夫

 もうしばらく前のことになります。ホンダがしらすで損失、という記事がありました。「え?どうして?」と思った方も多いのでは?本田技研の子会社ホンダトレーディングという会社、ホンダ関連の専門商社です。本社は八重洲口にあり、ホンダ東京進出時の場所。ホンダグループの名門企業と思っていました。それが、やはり事業を広げたかったらしいのですが、海産物に手を出していたのですね。しらす相場で、150億円もの損失を計上したと。

 この事件のことは忘れていたのですが、今日、ジムで自転車をこぎながら、藤沢武夫「経営に終わりはない」(文春文庫)を読んでいたところ、次の記述を見つけたので思い出しましたのでした。いわく「どんな場合にも本業以外で儲けることはやりませんでした。個人でもやりません。・・・自分の身のまわりはいつもきれいにしている。だから、みんながついてきてくれる。つまり私が何をいっても安心していられるのは、・・・私が苦しむときに、みんなも苦しんでくれといえます」

 藤沢氏は自分が私利私欲で動いたら、部下に厳しいことをいえなくなる。だから自分は私欲では動かない、といっているんですね。やはりすごいなあ。いざ、部下から引き出したいというときに、借りがあっては動かない。部下を動かすため、カレンシーの交換を読み切り行動しているところがすごい。感心しました。

 もう一点。逆に藤沢氏が詰めていた八重洲のビルで、今回の事件は起こってしまった。藤沢氏の時代から50年。会社の伝統とか思想をつなげていくのは容易ではないなと思います。事件を起こした課長(すでに懲戒解雇)は、他社からの転職組。無理したんでしょう。上司も海産物の相場なんかわからないから自由にやらせたんだと思います。不正が起こりやすいですよね。でもこういう本来有能な人材にこそ、影響力を発揮して動かさなければなりません。優秀な人ほど自分の力を試してみたくなりますから、コンプライアンス上の問題が起きてしまいがちです。

 今期の純利益で、ホンダがトヨタNTTグループを抜いて最高額になったという報道もありました。150億円ぐらいの損失は物ともしないという意味で、もう一度感心しました。

2011/06/05

カーナビ

 私は新卒で自動車業界に飛び込んで以来、目的地に行く前に地図を頭にたたき込み、あとはイメージに従ってドライブする、という方法で二十数年やってきました。でもとうとう、初めてのカーナビ、正式にはPNDと呼ばれるアメリカの軽便カーナビを購入しました。Garmin社のnuviと呼ばれるこの機種は、2万円少々で手に入る他より安価なものですが、海外でも使える優れもの。毎日どこを走行したか、その軌跡を記録でき、これをクラウドに残しておける(はず)。歩行でも使えますから、旅行でも活躍してくれると期待したわけです。

 カーナビを使ってみると、やはり運転スタイルは変わりました。まず地図を見なくなった。行く先でナビが教えてくれるでしょう?それから、いちいち右へ、左へとナビの指示を聞くことになりました。自分が慣れたルート以外を指示してくることもあるのです。違和感を感じながら、思い切って機械のいわれるがままになってみる。と、自分で考え判断しなくなりますね。こうして、生活は効率化が進んでいくのでしょうが、実はナビを使うと運転が楽しくないんですよね。なぜなんでしょうか?これは私だけですか?

 考えられる理由。人の言いなりになるのが好きじゃないから、考えて判断する一種のゲームが楽しみだった・・・。これ、優秀な部下が来ると部下の話を聞かなければならない上司のジレンマに近いなあ。研修の参加者で部下や後輩の話など聞きたくない、という人多いんですよね。自分が専門家でいたいということです。私の仕事のうえでの役割は、部下や後輩を抱えているのに、自分一人で何とかするのをあきらめさせること。言い換えれば、上司としての役割を受け入れて、覚悟を決めさせることです。でも、専門家として成功してきた人ほど、手放せないものです。たとえば、トップセールスマンだった人が、部下がみんな自分より劣っていることにいらいらして、自分が先頭に立って売り歩く。結果部下が育たない、のような話です。多いと思いますよ。現実には、レシプロシティの原則通り、部下の話を聞いた方が部下は上司のいうことを聴くものです。聞いてもらった、という感覚がカレンシーになるからです。

 しばらくナビは試行錯誤です。とにかく優秀で、数メートル範囲の誤差しかないし、速度も正確。ゼンリンの地図も信頼できる。大いに気に入っています。一方ナビが具合悪いのは、こちらがナビの指示に従っても決して感謝しないことでしょう。いざとなったら無視、という戦術を学ぶまでいらいらしそう。ナビ程度かそれ以下の部下を持つ上司には同情します。どうか「影響力の法則ー現代組織を生き抜くバイブル」第9章をお読みください。

2011/06/04

不信任

 内閣不信任決議案が衆議院に提出され、否決されました。それと引き替えに、首相は退陣表明した。リーダーというのは信任されて部下がついてくるわけですから、菅内閣は死に体内閣になってしまいました。すでに韓国は李大統領訪日の見合わせをしているそうです。こんなときに、こんなことをやっていれば、一層の政治不信が、国民、世界に広がってしまうことは間違いない、ですよねえ。本当に情けない。死に体内閣になった以上、首相は早期に退陣した方がいい。

 一方不信任案を出す方も、相当な覚悟があったはずです。谷垣氏にとっては、加藤(紘一氏)の乱に次いで、また失敗だったように見えます。でも、私は最低限の目的を果たしたと思っているのではないか、と穿った見方をしています。それは原発反対派の押さえ込み、です。今回の決議案の主役たち(提出、支持者)に共通するのは、原子力発電じゃあないですか??まあ、笑い話と思ってください。そういう仮説に立った場合、です。

 彼ら(推進派)の立場に立って考えてみましょう。私が原発推進派であれば、この時期世論が反原発に流れるのを静かに止めたいと思います。原子力発電の危機なんですから。国民の多くは、原発を全廃するか、今止めるか、順番に止めるか、将来止めるか、に傾いています。ドイツやスイスは撤廃に向けて動き始めました。ここで原発推進の旗を振るのは、そうとうな勇気がいります。政治家なら落選につながりかねません。ですからそれと気付かれないように、世論を誘導したい。マスコミなどには強い影響を及ぼそう。反対派の人たちには、(前福島県知事のように?)そっと退場してもらいましょう。きたない、ひどい、というかもしれないですが、それは推進派から見れば当然です。そこに拠って立つのだから、必死です。
 菅首相は表だって原発反対ではありません。おそらくエネルギー政策について、それほど重きを置いてこなかった(と思います。ここが「公共の福祉より人権重視」の人の弱いところ)。よってエネルギー政策ではすぐぶれる。菅氏の支持者たちは市民活動家が多く、彼に圧力をかけているのは反対派です。彼自身はニュートラルでも支持者の圧力は無視できない。だから、私が推進派だったら、菅氏は何を言い出すかわからない怖い人です。すでに首相の一声で浜岡原発を止めてしまったうえに、この間まで海外で原発のセールスをしていたと思ったら、政策の見直しを発表しちゃうんですから。早めに退場してもらわないと、どんな不利益が起こるかわからないです。原発の是非を争点に解散されたりしては参っちゃいますよ。
 そこで、首相のリーダーシップがないとか、なんだかんだといって、世論を煙に巻く一方、政府に協力しないことで内閣を無力化してしまい、首相から退陣の約束を取り付ければ、民主党も含めた原発推進派はほっとします。

 なんて考えていた次第。こうでも考えないと、この時期、国民の批判を覚悟でこんな愚かな不信任の話なんか持ち出さない。合理的な理由がなければ、こんなことできないよなー。よって、谷垣氏にとって加藤の乱は失敗でしたが、今度は成功だったんじゃないでしょうか。

 こういうときに改めて思うのは、菅氏はもうちょっと長い時間をかけてカレンシーの交換を進め、政治家だけでなく官僚や財界にも根を張っておくべきでしたね。こういうときに味方が少ないと、結局組織を動かせません。若い代議士や官僚を怒鳴りつけてきたツケが、今になって回ってきてるんじゃないですか。業ですねえ。
 かつて竹下さん、中曽根さんが絶賛した政治家が、総理大臣になったら何もできないとは、国民としては情けない。そういえば、安部さん、福田さん、麻生さんも似たような印象だったなあ。これはやはり総理だけの問題じゃなく、フォロワーである国会議員こそだめなんじゃないか。リーダーが信任によってなりたつということは、フォロワーが腹を括ってリーダーを信任しなければ、どんなリーダーでも機能しないですよ。どっちもどっちですな。

2011/05/22

勝てるチームと負けてるチーム

 数年ぶりで神宮へ。東京六大学野球 立教対東大戦を同窓の盟友と観戦しました。もちろん立教を応援。結果は事前の予想通り、5-0で立教の勝利となりました。
 試合前の練習では、立教の選手がピッとボールを投げるのに対して、東大の選手は山なり。ボードを見ると他の私学並みに近年野球枠を入学させている立教は、PL学園、横浜、大阪桐蔭と甲子園の常連校出身者がいるのに、東大は麻布、灘、武蔵など。差があるよなー。そう思うと東大の選手の方が小柄に見えます。「大差で立教だな」と思ってしまいます。

 ところが試合が始まってみると東大の方がいい当たりは出ているし、安打数も8本ぐらい打ち遜色なし。何度も得点のチャンスがありました。投手も急速こそ120キロぐらいでしたが、立教のクリーンナップから三振を奪うなど好投。中盤までは投手戦の様相だったんですよ。守備では併殺も連発して全く遜色なし。3点ぐらいとっていても不思議はない。しかし1点もとれずに完敗です。おかげで立教に優勝の可能性を残しました。

 なぜでしょう。残念ながら東大の選手は、今一歩のところで決め手を欠いており、チャンスに点がとれない。逆に、投手も最後に粘りきれず、長打を浴びてしまう。この最後の精神力のようなものが全く違う。ピンチに追い込まれるほどに集中力を高める立教の選手にたいして、東大の選手が追い込まれると最後にはどこか他人事になってしまうのが、とても印象的でした。三振をとった投手自身が驚いちゃっているんじゃあね。ですから立教サイドはピンチになっても点を取られる気がしないし、負ける気がしない。逆に3塁側は最初から勝てる気がしなかったでしょうね。じわじわと点差が開き、結局立教の大勝に。

 それが組織の差だなあ、と感じました。勝つチームは最初から勝っていますね。たぶんグラウンドに出た時点で「勝っている」と感じている。古田敦也もいっていたとおり「優勝したときは、試合前に勝つ気がしていた」という感覚でしょう。チームはその感覚をつかまなければ、本当のチームにはなりません。ビジネスで考えれば、「売れない」「競争力がない」と思っていたら、最初から売れません。そういう時はどこか他人事になってしまう。どうやって、勝つチームの感覚を味わわせるか。ここがリーダーの仕事でしょう。
 それはやはりフィードバックだと思います。フィードバックとは、本来システム用語で当事者に関する情報を戻すことです。この場合、「勝つ」感覚を強化することといっていいでしょう。ロンメル将軍は小さな戦勝を積み重ねたそうです。NYヤンキースは、常勝集団であることを徹底的に教育するとききました。いずれにしても優れたフィードバックが必要ですね。「遠慮」や「謙遜」に拮抗するフィードバック。影響力の法則では、このようなフィードバックが重要なカレンシーである、と定義しています。私たちの組織を本当のチームにするのに、どんなフィードバックが有効でしょうか。ほめる?機会を与える?対外試合をさせる?いろいろな方法があると思います。

 さて、こうして野球は立教の勝利となり、優勝に望みをつなぎました。選手の健闘をたたえたい。東大もよくやった。これが別の領域だったら、東大が圧勝することもあったでしょうね。ああ、面白かった!

2011/05/18

再選挙

 以前取り上げた千葉県議会議員選挙、浦安選挙区。次の日曜日が投票日となりました。4月の選挙では立候補しなかった新しい候補者が出馬されてびっくり。民主、自民で分け合っていたところに、みんなの党の新人さんが出てきたのです。これが答えだったのか、と感心するばかり。結果的には、新人さんに準備期間を差し上げたようなものですよねえ(真意はわかりませんが、そう思われてしまうのは覚悟の上と思います)。
 浦安が液状化で被災したのは周知の通り。そんな大変な状況に、党首クラスで早々に浦安入りしたのはみんなの党の渡辺代表だけだったとか。恩義を感じない人はいないでしょう。原則が揺らぐのはやむを得なかったんじゃないかな。

 それにしても、こうして簡単に原則が揺らぐものなんですね。意識していなければ、大事なときに揺らいでしまいます。山本七平著『人望の研究』を読んで思った次第。(この本も食わず嫌いで読まなかったんですが、おもしろかった。また今度書きます)

2011/05/08

松下氏の警世

 関西では関東と異なるテレビ番組になっているようです。7日朝5:15からNHK「関西想い出シアター」では、松下幸之助氏の「警世」を放映しました。1975年の番組。当時80歳の松下氏が、政治経済の状況を憂い、インタビューに応えていました。
 いわく、いよいよ経済が行き詰まり、もはや経済活動だけで回復することは困難である。民間ではできないような国家レベルの事業に国が先行投資すべきだ(ただし赤字国債はだめ)。政治も経済も行き詰まっているのは、その病根がわからないからである。日本は戦後、日本は実力で再興したと思っているが、実際は外国の援助があったからこそだ。本来敗戦で罰せられるべきところを助けられ、甘えてしまった。それゆえに、精神的にバラバラである。戦後30年たってようやく精神的に敗北を味わっているのだろう。今こそ、精神的な復興を遂げなければならない・・・。といった内容でした。

 もし、問題の病根をつかんでいなければ、自主的な解決は覚束ないでしょう。そのときからさらに35年。今も同じ病根を抱えているのなら、なんら解決することなく病はいよいよ深刻と言えます。私もそうですが、人はなかなか弱みと向き合うのが難しい。その前に、ドラッグストアで鎮痛剤を買ってきてしまう。組織であれば、自分だけでなく部下にも問題に向き合わせなければなりません。また、このようなときだからこそ向き合わなければならない現実もあります。

 関西ではおもしろい番組やっていますね。東京では観られないのかな。

京都、奈良

 2泊3日で京都、奈良を訪れ、先ほどかえったところ。年々神頼みの部分が増えてきて、寺やら教会やらのご厄介になっています。今回は、興福寺と春日大社、いつもの東寺を参詣しました。興福寺では白鳳、天平時代からその後の仏教文化への繋がりを、春日大社には自然への畏敬を感じました。東寺では、講堂立体曼荼羅の大日如来にしびれました。もちろん、この季節、東山、春日山の緑が美しく、訪ねてよかったなあとしみじみ思いました。

 帰り際に京都国立博物館、法然展を参観。法然をよく存じなかったものの、浄土教の開祖、さすがに素晴らしい。平安時代までは宗教は貴族のためのものであり、庶民のものではなかったですよね。それが、念仏を唱えるだけで誰でもすくわれる、漁師でも遊女でもすくわれる、となります。やはり宗教はすくわれない人に寄り添ってきたものだと思います。これは宗教だけでなく、ビジネスや政治でも同じではないでしょうか。すくわれない人に向き合っていくことが歴史を拓いてきたのだろう、と思いました。
 一方、親鸞を始め優れた弟子を得たのも、法然上人の功績と思います。弟子に恵まれる人は偉すぎず、小難しいことをいわない。キリストもそうですよね。自分が伝えたいことを本当に伝えたければ、一代ですむはずがない、次世代までつながらなければならないでしょう。すなわち弟子がいてこそ、その人の教えは本物なのでしょうね。

 今回は、GWというのにクルマで行っちゃいましたが、行きも帰りも渋滞なし。中央道から名神高速を経て大津でおりたところ、初めて高速料金1000円で行けました。不要不急の自家用車利用は避けろというお達しだったのに、途中親族を訪ねることもあり、こうなった次第。ともかく、1000円の高速道路は最初で最後となりそうです。

2011/05/02

「戦火のナージャ」

 ニキータ・ミハルコフ監督の『戦火のナージャ」(太陽に灼かれて2 The Exodus)を観ました。ミハルコフは私の最大のお気に入りです。現役の映画作家、芸術家としては、私の中では頂点です。個人的には、ヴァン・ゴッホに匹敵する人間描写と考えています。

 この作品、どんどん引き込まれてしまい、2時間半はあっという間でした。まずいつものように、美しい大地と地平線。その間に人が生きているんだ、人は自然の一部と思わされます。親子の愛と絆もいつものテーマです。ロシアは家父長の強い世界と思われていますが、強い父のモチーフは今回も感じました。
 またミハルコフ作品は、いつも少し可笑しい日常が描かれ、その直後に登場人物たちを地獄に突き落とします。今回は、士官候補生が合流し、罪人たちと要塞を築く、そこで交わされるエリートと非エリートのちぐはぐなやりとりで笑いを誘った後に、ナチスの戦車がやってくる。ロシア(ソビエト)側は、数人を残して15分の間に240名が殺されてしまう。赤十字の船がナチスのパイロットの怒りを買い、執拗な攻撃を受ける場面もありました。とにかく燃料が切れるまで報復するのです。やられたらやりかえす、という単純な心理(それも怒りよりも怖れ)が恐怖のどん底に突き落とす。日常と地獄が背中合わせと感じさせるのは、さすがです。

 試練を神の計らいと考えなければ、それに耐えるのは難しいのではないか。最大の感想です。

 公開中にもう一度観に行くと思います。

2011/05/01

試練に立ち向かった2人

 NHK ETV特集で、浅野史郎氏と村木厚子氏の対談「二人の”チャレンジド”」を放送していました。このおふたり、ちょうど時を同じくしてガン(白血病)とえん罪の試練にさらされることになります。お話を聞き、ふたりがそれぞれの試練に向き合う姿勢、挑戦には、大変感銘を受けました。
 とりわけ感心したのは、村木さんが大阪拘置所に勾留されている間のこと。彼女は無罪の身で拘置されていることにショックをうけながら、拘置所のさまざまな現状を観察し続けていました。そして、自ら取り組んできた仕事(障害者の雇用)と結びつけて、入所者としての体験を記憶し、入所施設についての考察を重ねていくのです。たとえば、拘置所の職員の態度に力づけられ、障害者施設の職員の取り組みについて考えます。差し入れられた小説に「さまざまな試練があっても、それをどう受け止めるかは、本人が選択できる」という主人公の言葉を見つけ、自らを励ましてきたのだそうです。また浅野さんらの励まし(「あきらめるな、正義は必ず勝つ」)も救いになったと述べていました。(拘置所の職員に「泣いてちゃだめよ、あなた検察と闘うんでしょ」と言われたというのには、驚き感心しました)
 思い出したのは、精神科医フランクルが、ナチの収容所で収容者の体験を記録していったことです。その人にしか与えられない試練にどう取り組むかで、キャリアの価値が問われるのですね。

 職場やプロジェクトの現場ではどうでしょうか。試練に直面し、部下や同僚が混乱してしまっていたら。上司として同僚としてどう関われるか。やはり、目標は本人が困難を受け止め、適切に対処することでしょう。たとえば、問題を拡大させないことです。カウンセリングでも、落ち込んでいる自分自身に動転しないように働きかけます。
 では、もっとも価値あるカレンシーは何か。それはその人によって異なりますが、誰にでも共通するのは、「信頼」ではないでしょうか?あなたは回復する、あなたの目標を達成すると信じている、ということ。そしてその言葉を信じるに値する態度。私自身、そうありたいと思いました。

2011/04/22

名車の開発

 「名車を創った男たち」を読みました。90年前後の「名車」開発のプロジェクトリーダーへのインタビューをまとめたもの。スカイラインGTR、ユーノス・ロードスター、エスティマなど、日本車が輝いていたころの開発物語がコンパクトにまとめられています。今ではこうはいかない、というような専用部品をふんだんに使った贅沢なクルマたちが、あったんですよね。

 私の関心は、もちろんプロジェクトのリーダーシップ。ロードスターが派遣社員中心?に開発されていたとか、スカイラインを生き返らせるために幹部に使った殺し文句とか、役割を越えて口を挟ませる規範づくりとか、責任共有のリーダーシップとの繋がりを感じて実に興味深い。ひとりひとり会って、話を直接聞いてきたいと思いました。

 日本には、ものづくりの侍がいた、という気がします。きっと今も息づいているのでしょう。楽しい本でした。

2011/04/21

somewhere

 ソフィア・コッポラ監督、"SOMEWHERE"を観てきました。ヴェネチア金獅子賞受賞作となれば期待も高まるというもの。でも、へえ、なるほどね、という感じ。
 コッポラ作品は初めてです。結構長回しするんですね。オープニングからフェラーリがぐるぐる回っていて・・・。そのあとも1カットが長い。こういうのは、欧州映画や日本映画ではおなじみですが、アメリカ作品ではあまり見ない気がします。イタリア系アメリカ人による、米伊折衷か。私は1カットが長いのはすきで、登場人物の心理の変化を見せますよね。ところが、この長いカットの後で、この登場人物の世界がたいしたことないなあ。娘と離れれば寂しくて当たり前。何を描きたかったんだろう。
 とはいえ、この作品の父と娘の関係を、コッポラ親子との関連で観てみれば面白い。映像もキャストも魅力的で、もう1回観たら印象変わるかな。

2011/04/02

選挙は延期か?

 浦安市では、被災のため投票所の準備ができていないことを理由に、統一地方選挙を延期しようとしています。一方県選管では、是正指示を出しました。つまり、選挙を実施するようにと。

 市民としては複雑です。未だに上下水道が不通のエリアがあり、一部の自治会で選挙どころじゃない、といっているらしいのです。まあ、確かにそうでしょう。でも選挙戦が始まっているのに、候補者が誰かを知らないというのは、ちょっと異常事態と感じます。看板が立っていないんですから!

 市長としては、一部の市民に配慮したものだと思います。もちろん市職員も復旧に追われて大変でしょう。しかし、民主主義で、市民には投票の権利があり、法律に則って選挙が行われているというのに、情報が入ってこないというのは、マグレブ諸国やら世界各地の独裁国家の市民というのは、こういう体験をしているのかなあ、と想像をかき立てられるものであります。
 個人的には、カンボジアでもバルカンでも、完全な状態ではなくても選挙をやったわけですし、「みなさんにはご苦労をかけていますが、選挙は国民主権の基本です、やらせてください」とお願いしてやるべきじゃないの、と思いますが。いかがですかねえ?

 なぜこんなことになってしまったのか?想像してみると・・・、市内一部地域では被災地に対する市の対応に不満が噴出していると聞いています。当然、復旧が遅れれば不満も募ります。それで市側はそうとう不満をぶつけられたのでしょう。早く何とかしろ、行政はなっとらんと。それで優先順位が変わって(選挙が下がって)しまった。言い換えると、一部市民に特別カレンシーを渡して、埋め合わせしなければならない状況。これは好意的な解釈です。
 意地悪な解釈は、市長がリーダーシップを発揮している格好いいところを見せたかったか。県や国にくってかかるとウケるのは、大阪や名古屋で見てますからね。とはいえ、市長は4選を果たしたばかりだし、松崎さんは立派な方ですから、これはないと考えましょう。いずれにしても真相がわかるのはずっと先でしょう。

 私の興味は、後に引けなくなった市長が次にどんな行動に出るか。鹿児島方面で見られたような議会不在のまま先決決裁の独裁者?になるのか、適当な着地点におりられるのか。もちろん、選挙をやらない、というのに黙っていない市民も出てくるはずだし。県と市が互いにネガティブカレンシーを交わし合った結果に目が離せません。

2011/03/29

停電の交差点

 計画停電の日は、信号が点灯していない場所があり、ひやひやさせられます。一昨日でしたか、またある交差点で。
 ああ、停電している、嫌だなあ、と思いながら、私は直進しようと思います。前には右折するクルマが並んでいるばかり。警察官はその影で見えません。この交差点どうなっているのか・・・。まずは速度を落として接近し、手信号を送っているはずの警察官を捜します。いたいた一人の白い上着を着た警察官が、右折車に進むよう合図を送っています。そして接近する私の車を見て直進しろ、と右腕を振りました。私はちょっと安心してそのまま交差点を直進することができました・・・。

 お気づきと思いますが、私は警察官を目で捜し、警察官の指示を仰ぎ、言われるままにクルマを走らせました。その間、他のクルマの動きを見ていません。ただ、警察官の動きを見ていただけです。この場合、私は一切現実に起こっている動きを注視していません。左からクルマが来ていたかもしれませんが、一瞥もくれていません。それで、走り抜けちゃった。
 これって、会社でおこっていることに似てませんか。こうやって、会社で生き抜いている人たくさんいますよね。上役の顔色だけ見て、指示を待つ。現実を見ようとしない。何が問題で、何が起こりうるのか、一切関知しない。

 私にとって信号のない交差点はちょっと慣れない状況です。人はなれない状況にはいると、現実よりも他人の動きを気にしてしまい、他人に言われるがまま動きやすくなるのでしょう。会社の中でも同様の出来事が少なくないはず。しかし、リーダーの立場にいれば、そんなときでもメンバーには自分の顔色ではなく現実を見るように促すことが大切です。そうして現実を直視し、主体性を発揮させること。そうして自分で判断する能力を培うこと。
 コーエンと、ブラッドフォードは、このようなリーダーシップを責任共有のリーダーシップ(ポストヒロイックリーダーシップ)と呼びました。責任共有のリーダーシップのもとでは、メンバーは主体性を発揮することが強く求められます。初めての状況であっても、難しい状況にあっても、メンバーは現実を見据え、自ら判断しなければなりません。その結果、よりよい判断を速く下せるようになると考えます。難しい状況でこそ、メンバーの能力が求められるのですから。もちろん、メンバーが主体性を発揮するにはリーダーの影響力が求められます。日本でも成功しているプロジェクトは、リーダーがメンバーに考えさせていますよね。アメリカでも同じだそうです。みなさんの難しいプロジェクト、メンバーの頭は回っているでしょうか?

 それにしても、交差点で信号をちゃんと出している警察官っていませんね。昔、教習所で習ったウデを広げたり向きを変えたり、というのはやらないんでしょうか。今、交差点で見られる、あのような仕事ぶりなら、工事現場で交通整理をしている警備員でも十分なんじゃないかなあ。警察官も慣れない状況にいるんでしょうね。(この記事は、警察官の訓練風景のようです)

 

2011/03/23

リーダーの言動1

 震災の被災者のみなさんには、心からお見舞い申し上げます。私は中越地震の時に長岡に赴き、ささやかですが被災生活のお手伝いさせていただきました。そのときも長岡のみなさんはご苦労されましたが、今回は街全体がなくなってしまっている。大変なご心労とお察しします。

 時間がたつにつれて、日々新たな課題に直面しています。原発事故はその最たるもの。数万人の周辺住民が避難生活を余儀なくされています。原発のエネルギーで便利な生活を送っている都市生活者として、申し訳ない気持ちです。現在の豊かな都市生活だけでなく、CO2削減も、電気自動車推進も、原発を前提としたもの。原発プラント事業で買収や提携を進めてきた東芝や日立の経営にも大きな影響はさけられません。その背後には何十万という雇用があります。それだけ私たちは原発に依存していますよねえ。それなのに、私たちは自分の街の近くには原発を置かず、福島や福井などの都市から離れた沿岸部に追いやってきました。

 原発があればいつかこんなことがあり得ると思っていたものの、実際に起こってみると、やはり責任を分かち合わなければと思います。福島県の佐藤知事が国民にこの責任を感じてほしい、という旨の発言をされていました。私は同意しますが、現地の首長からそれを聞くのか・・・。政府からも同様の発言があるべきだと思います。本来は電力供給を受けている都県からも、あってしかるべきではないでしょうか。避難者の受け入れも、同情からか責任感からかは重要。リーダーのメッセージで、方向付けられると思うのですが。

 ようするに、市民の責任感は、リーダーの言動ひとつで変わってくるのでは、ということを思った次第。

 さて、先日石原都知事が首相官邸に抗議に赴いた、との記事がありました。何でも”政府関係者が東京消防庁職員に、放水しないなら処分する”といった、ということです。そのため無理な放水をして、放水車が故障したと。その関係者とは、海江田経産相なのだとか。海江田氏もそれを認めて謝罪したそうです。まあ、何とお粗末なことか。石原氏の言うとおり、こんなこと言っていては「兵隊は動かない」ですよね。
 私が思ったのは、なんでこんな馬鹿なことを言わなければならなかったのか。首相を目指す海江田氏の性格か、初めて大臣になって頑張りすぎてしまったのか。配下でない消防庁の職員が動かないので怒り心頭になったのか。まあ、いずれにしても立場を得たから人が動くのは幻想、といえるでしょう。このような脅しともとられる言動は、現場の職員にとってかなりの負のカレンシーとなっているはず。他の公務員や官僚も、それを見ていやなやつとおもっているに違いありません。
 この負のカレンシーは、いつか負のカレンシーとしてかえってきます。相手がいやがることをすれば、いつかその報いを受けるというわけですね。今回の消防庁の例は、彼らに高度な専門能力があり、リーダーがそれを必要としている状況です。そのうえ、海江田氏は上長ではない。現場から見れば、何言っているんだ、という程度のこと。すでに石原氏を通じて悪い評判(負のカレンシー)を手渡された海江田氏。海江田氏本人としてはリーダーシップを発揮したかったのでしょうが、負のカレンシーを散布した結果的、将来にわたって負のカレンシーをもらい続けることになるのかも。菅氏が優秀な政治家だったにもかかわらず、大臣になると何もできないのも、官僚を恫喝して負のカレンシーをばらまいてきたからだと思います。彼のために動いてくれる人は少ないに違いありません。海江田氏も影響力を落とさなければよいのですが。
 それにしても、リベラルの政治家に誤解が多いのは残念。なんでリベラルと思われる人ほど、怒鳴っちゃうのかなあ。リベラルでリーダーシップのある人、いないものでしょうかねえ。数少ない人材である、松沢神奈川県知事も無力化されたし(彼も”まともな”政治をやってきたので、それを負のカレンシーと考える行政改革の反対勢力に消されたのでは?なんて)。

 やはり、実るほど頭を垂れる稲穂かな。本当に改革をやろうと思ったら、忘れてはいけませんねえ。

2011/03/07

戦争の回避は難しかったのか・・・

 NHKでは4回にわたって、「日本人はなぜ戦争へと向かったか」を取り上げていました。なかなか興味深く、難しい問題で、簡単には語り尽くせないとテーマ。番組に登場していた研究者が「日米開戦史」専攻ということからも、深く研究するに値するテーマと思います。
 最終回の今日は、リーダーたちはなぜ開戦をとめられなかったのか、というお話しでした。近衛首相以下連絡会議のメンバーはみな戦争すれば負けると思っていたというのが、深刻です。陸軍大臣(後に総理大臣)の東条英機ですら、勝てないことを知っていた。なぜなら日米間の戦力の格差は歴然としていたからです。もっとも大きいのは石油で、主としてアメリカからの輸入に頼っていたわけですから、なおのことです。それなのに・・・、負けるとわかっていた戦争を回避できないメカニズムが働くというわけですね。
 最大の問題は、戦争への深入りです。この場合、日本は日中戦争に思い切り投入していました。多くの命や費用がつぎ込まれてしまうと後に引けなくなる。現場からはもっと戦費を注いでくれれば勝てる、仲間の命を無駄にはできない、といった心理が働くでしょうし、国民は失政を許さないでしょう。リーダーは部下や社会といったステークホルダーの圧力を感じるはずです。事実、戦前はリーダーが暗殺されました。欧州で東西が統合されたとき、東独、ルーマニア等、リーダーは裁判にかけられて、ろくな死に方をしていません。最近では中近東で国家元首が国民に追われる事態になっています。そういう結末を見ていれば、某国の独裁者もおいそれとは国を開放できませんよねえ。

 深入りを避けられればよいのかもしれませんが、弱いコミットメントを許容するようでは、難しい状況でリーダーシップは機能しないでしょう。つまり、目一杯東に振って、西にひきづり戻すようなもの。これは大変な影響力です。
 まず、現実を見なければなりません。厳しい現実かもしれませんが、負けることを理解していなければ。そして、部下たちにもその現実を見せなければなりません。
 しかし、部下が負けることを受け入れるかというと、それは簡単じゃないですよ。部下は思いっきり否定的なカレンシーを受け取っているのです。「負けるはずはない」というのは、現場で頑張っているほど思いたいはず。リーダーは自分の非を認め、昔なら切腹ですよね。それで許してもらえれば、ラッキーというところでしょう。日頃から、小さなカレンシーを渡して信頼関係を築くことがせいぜいでしょう。ナポレオンは、配下にまめに声をかけたそうです。麻生太郎氏の元部下という方に伺ったお話ですが、実に細やかに声をかけられるので、部下は感激したといっていました(その麻生さんにとっても厳しい今のリーダーの役割かもしれません)。

 今夜は、小さなカレンシーの積み上げで信頼関係を築く、としておきましょう。(つづく)

2011/02/23

負けて勝つ

 大阪出張の帰りに、京都に立ち寄り、東寺の山田忍良師にお目にかかりました。山田師は毎週金曜朝6時45分から東寺回向堂で「金曜法話」を続けられています。いただいたレジュメによると、先週18日の法話のテーマは「負けて勝つ」でした。若き日の師が、先輩の教師から「相手を打ち負かすより、負けて至らなかった点を自覚できれば、はるかに大きな収穫を得られる。逆に勝ち進んでもやがてはその害がおよぶのではないか」と言われ生き方を変えた、と書かれています。「負けて勝つ」という感覚、あるいは真理と言ってもいいと思いますが、私たち多かれ少なかれ体験していることではないでしょうか。リスクを冒してみたものの、やはり負ける。でも負けたことから多くを学べます。影響力の法則で考えれば、この学びをカレンシーがえられたと考えてみることができるわけです。
 さらに人間関係で考えると、相手に「言い負かせた」「譲ってもらった」という感覚が残るかもしれません。負けることで相手にカレンシーを渡していることもあるわけです。言い負かした相手が、次回味方になってくれかもしれません。

 折しも大阪では名門企業で、素晴らしい人材(主として技術者)を前にお話しさせていただきました。みなさん素直で純粋、まじめな方たちでした。さすが、日本の優秀な人材を組織化した企業である、と心から感心しました。その会社が長きにわたって発展してこられたのは、この人材によるところが大きい、と実感します。
 ところが一般的には、優秀な人材ゆえに、影響力が発揮されなくなることがあります。それは優秀な人が「負けるが勝ち」を苦手とするところがあるからです。総じて優秀な方は、学校、会社でずっと勝ち組にいたワケですから、知らず知らずのうちに、相手の上手に立とうとしてしまう。理論で論破したり、知識で圧倒するのが成功パターンになっています。彼らの言うことは確かに正しいのですが、相手には嫌な気持ちが残ってしまうこともしばしば。そうして勝ち進んで管理職になっても、部下や他部門からは、マイナスのカレンシーを受け取ってきた、という想いがあるので、協力したくない。結果的に、まわりが動かず目標達成に黄信号がともってしまう。そういう上司、少なくないでしょう?一方で影響力のある管理職は、控えめですらあることが多いですよ。
 
 今勝つのが本当の目標か、10年20年後に大きな仕事を成し遂げるのが本当の目標か、この判断は難しいですが、よく考えてみるべきでしょう。
 「負けて勝つ」には真実があると思います。

2011/02/20

ラオ教授の・・

 「ラオ教授の幸福論」(マグローヒル)を読み終えました。ラオ氏はコロンビア大学ビジネススクールでマーケティングを教えていたらしい・・・。マーケティングから幸福論という転身を最初は不可解と思いましたが、いずれも消費者の利益に資すると思えば、あながち大外れではないのかも。
 いくつもの示唆を得られる本で、大学で人気講義だったのはわかる気がします。ひとことで言えば、幸福も不幸も原因は自分にあるということ。例えば学生の多くは、就職できないのは景気が悪いからと思っています。でも現実は就職できている学生が少なくないのだから、景気のせいばかりにはできません。自分の考え方によるところも大きいわけです。このような「原因自分説」は珍しくもないとはいえ、実は読み手が抵抗を感じるところです。不幸の原因は自分の外(上司や会社や景気の悪さ、はたまた強欲な妻)にあると考えたいですからね。本書の優れているのは、読者の抵抗にも怯むことなく、外に原因を求めても救われない、と繰り返しているところです。目標を決めたら結果を追わないで、自分にできること、すなわちプロセスに投資せよ、というのが一例です。結果は神のみぞ知るなんですよ。
 これはカウンセラーやコーチと同じスタンスと言えます。私が國分康孝先生とアルバート・エリス先生から学んだ論理療法と同じ。現在のニューヨークのような大都会(コロンビアとエリス研究所はニューヨークにある)では欠かせないアプローチかも。
 私が注目したのは、俳優の生活ではなく役柄生きていると思え、というくだり。なるほど自己を相対化できれば、その分問題を修正できます。これもカウンセリングと同じです。この本は学生のためのサイコエデュケーションにもいいと思いました。
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繁栄のワケは

 マット・リドレーの『繁栄』(早川書房)をようやく読み終わりました。読み始めてから途中身内の病気やらなんやらで、2ヶ月近くかかってしまった。この本読み始めたのは、「繁栄の決め手は交換」という世界観で、生物学者が何と書くか興味があったから。もちろんおもしろかった。
 人間だけがなぜ飛躍的な繁栄を遂げたのか、というのが本書のテーマ。簡単に言えば、他の動物も交換するが、人間だけが他の物を交換できる。たとえば、他の動物や虫さえも同じ餌を交換する。しかし人間は食物と衣類を交換したり、ここに貨幣が入ってきたりして、格段に複雑な交換ができるようになった。その結果分業が進み、圧倒的に効率よい生活が送れる湯尾になった。さらに、アイデアの交換によって様々な問題を解決することができたのだというわけ。この「他の物を交換できるようになった」というのがおもしろいところです。同じぐらいの価値の交換を可能にする、信用取引ができるようになったのだから。もっとも、これには試行錯誤があるわけですね。よいときばかりではない。でも歴史をたどると大きな困難に直面し一時的に人口が減っても、人類は問題を解決してきただろう、という展開です。
 私の関心は、分業が進んで複雑になると人は互いにわかり合えなくなるというジレンマを、影響力の法則で乗り越えようというところにあります。よって、その歴史的な裏付けがとれたような感じ。ますます影響力のテーマに取り組もうと意欲満々です。
 来週は、製品開発などに関わるある役割のみなさんに対して、影響力の1日セミナーを実施してきます。ここでも参加者のみなさんの影響力が高まれば、組織の困難を乗り越え組織は複雑さに耐え、より発展していくでしょう。

2011/01/15

プランナー難民か?

 私は、ここ数年フランクリンプランナーを使ってきました。「7つの習慣」セミナーを受けたのがきっかけだったと思います。その前も「タイムクエスト」セミナーをきっかけに、何年か使っていたのですが、PALMかなにかのPDAにとってかわられたという経緯があります。しかし、セミナーを受けた日にPALMが壊れてしまい、「やはり紙か」と再開したのです。バインダーなど3つも買いました。またストレージ(保存箱)にいれると毎年箱がつまれていき、そろそろ10年でしょうか?それだけ、フランクリンを愛用してきたのです。
何が素晴らしいといって、週単位の時間管理と人間関係から優先順位を決めるフレームです。この2点は他の時間管理術には見られないもので、「ウィークリーコンパス」なるツールは、1週間の価値を高める上で欠かせないものとなっています。

 ところが大きな難点は、1日2ページというリフィルの多さです。ストレージが増えるのがいよいよ気になってきました。そこで昨年は週めくりのタイプをはじめて選んだのですが、これも基本コンセプトを踏襲した素晴らしいもの。今年はさらにコンパクトにするべく、ワイヤーバウンドという、ワイヤー綴じの手帳タイプにしてみました。それでも中身は同じはず、今年からは保存がより楽だな、と期待していたのです。しかし、これはウィークリー(週めくり)でも全く別物だったのです。まず週間計画のページがなくなっていました。それから毎月のカレンダーの後ろにはいると思っていた週間のリフィルが、毎月のものと毎週のものがそれぞれまとめられていて、一緒に見られません。つまり、フランクリンのいう「価値観→長期計画→短期計画」の計画構造に対応していないのです!11月ごろ円が高くて「ついてる!」とばかりにまとめ買いしたのですが、この問題に気づいたときの失望たるや、がーん!という感じでした。ワイヤーを外して組み直しもしたのですが、思う形にはなりませんでした。これはまずいー。

 ここからです。新たな手帳探しを始めたのは。フランクリンのリフィルも種類が減ってきているように見えたので、ここで他に乗り換えるチャンスかと思ったものの、他はみんな同じ。1週間管理と人間関係軸がない。うーん。そもそも、フランクリンを薄くしたくなったのは、Google Appsを使うようになったから。社内での共有を図るには、結局クラウドに頼らざるを得ない。ここで、フランクリンがやっちゃダメだという(フランクリンではすべてのパーソナル情報をプランナーに置け、というお約束になっています)、情報のバラバラ化が起こってしまっていたのです。ですから他の手帳も、Googleも、BlackBerryも、根本的な解決策になってくれない。

 結局、不本意ながら今年はいっそうGoogleに依存する始末。書いて残すのは、Rhodiaのmeeting noteにウィークリーコンパスを挟んで使っています。でも、しっくりきていません。またフランクリンのに戻すか、どうしようか・・・。学生時代以来の友人、林徹哉くんもフランクリンから「ほぼ日」に変えるといってたよなあ。
あなたは今年どうしていますか?

2011/01/04

初詣

 例年、初詣は数カ所をまわります。カトリック教会の元旦のミサから始まり、千葉市花見川区の実家近くの神社など。こうしてそれぞれ参詣すると、生活と土地の繋がりを感じます。多くの神社は水害を防ぐとか、気候に恵まれるとか、農耕と結びついていると感じます。神様の怒りを鎮める意味があるのでしょう。昔も今も、農耕に従事する人は自然に対する畏怖の気持ちがあるのだと思います。企業経営者だって神仏に祈ります。早朝神社仏閣を訪ねると、必ずビジネスマンにで会います。彼らもどこかからは神仏に頼っているわけです。私は、最後は神頼みというのは実はある意味で合理的と考えています。努力はコントロールできても、結果はコントロールできません。努力でよい結果に近づけられますが、天気も景気も自分ではいかんともしがたいものです。神に祈るしかないでしょう。それでも、自分でできることがあるところは、コントロールを手放さない。結果を考えずに精進を続けるところに、実はよい結果がもたらされているのだと思います。

 最後は成田山です。お不動様(不動明王)で有名。元は平将門の霊を鎮めるために京都東寺からお不動様が遣わされた、という言い伝えを聞いています。成田山が不動明王をお借りしている貸借料を、東寺に支払っているというのは、本当でしょうか。この成田山、首都圏でも明治神宮に次ぐ参拝者があり、3が日で300万人ですから大変な人出です。私は早朝向かい、今年1年を誓う護摩修行に参列しました・・・・。これで心もすっきり、新たな気持ちになります。

 この成田山で、思わぬよい出来事が!境内で長嶋茂雄氏とすれ違いました。ミスターは千葉県佐倉市出身。そうか、成田山に来られるんですね。ミスター血色よくお元気そうでした。歩く姿はほとんど病気の後遺症を見いだすことができません。年明け早々、ミスターに会えるとは!今年はいいことありそうです。

 みなさんにも、よいお年を!

2011/01/02

松下幸之助歴史館

 年末に松下幸之助歴史館を見学しました。松下氏について直接存ぜぬ世代。しかしコッターはじめ、世界が研究したリーダーにして、パナソニックの創業者です。私もいくつかの書籍とオーディオから氏の業績に触れさせていただいていますが、一度よく勉強したいものです。
 初めて訪ねて感動したのは2点。氏が昭和の初めには松下電器を事業部制にしたことと、綱領をはじめとする哲学です。最近、発展とは拡大、分裂だと考えていました。つまり、全体の部分が高度に専門化していくので、組織は分裂していく。たとえば、細胞も繰り返し分裂した結果生命体になります。自動車のような製品もそう。ダイムラーの1号車と比べれば、現在のハイブリッド車は高度な技術の部品が数万集積したものです。科学もそう。そして企業組織も事業部制にしてエンパワメントしていけば、組織の高度化は加速するはずです。
 しかし、高度に複雑化するほど、組織としての一体感をつくるのは難しい。一体感などいらないかもしれませんので、別の言い方をすればハイレベルの戦略を浸透するとか、ブランド価値を高めるという根拠が薄弱になりがちです。そこに綱領がある。現在でも毎朝朝礼で読まれ、自分の言葉で言い直す訓練をしているとは、さすが、というほかありません。こんなの当たり前、というかもしれませんが、そうそう80年も続けられることではないでしょう。
 ベートーベンは、よい音楽には遠心力と求心力が同時に働く、といったことを行っていました。分裂と中心化を同時に進めていたというのは、80年前から大きな歴史の流れに逆らわなかったんだろうと。

 とはいえ、1回訪ねて何がわかるだろうという奥深さ。歴史館を運営している方たちの視点も鋭い。勉強になります。また必ず訪ねます。

 明日は、成田山に初詣に参ります。1200年の歴史を感じてきたいものです。