2010/02/20

いかにして信頼することを学ぶか

 明日は大学で学生のためのリーダーシッププログラムを運営します。明日のテーマは「信頼」。学生生活でも信頼関係が土台です。サークル活動など、信頼なくして成り立ちません。この信頼関係を築くのは、相互に信頼しあっていること。よくあるのは、「いかに相手に信頼されるか」という議論ですが、私は信頼する能力を高めることにフォーカスしています。

 さて学生は、どんな学びが得られるか?楽しみです。

2010/02/18

素早い反応の前提には、相手に対する信頼が問われる

 数日前にSNSを試している、と書きました。あるSNSで、海外の見知らぬ同業者から日本で仕事できる人を紹介してくれないか、と問われ、3人の有能な専門家に「コンタクトしてみてください」と照会しました。この状況、ネットワークが重要となるビジネスの現状を反映していて、勉強になっちゃいました。

 3人の専門家は、この状況をどのように受け取ったでしょうか?あいつ(私)の紹介だから間違いないだろう、と思うでしょうか。知らない外国人とコンタクトするのは、いささかためらわれることでしょう。私もこの海外の同業者と会ったことがない。信用できそうだという直感だけが頼りです。いい話でなかったら、私が3人から信用を失ってしまいますから、あまり強く推せません。

 結果は、3人のうち2人が、コンタクトするのが遅すぎたのです。もう誰かに決まってしまっていた。現在の意思決定は早いです。

 このようなときに、早く対応するには何が問われるか?私は「信頼」だと確信しました。信頼とは、相手の状況がわかっていないときに、相手が腹黒くないと仮定して行動することと言っていい。信頼はリスクを負うことを可能にします。本当に適切な人物かどうかがわからなくても相手と取引するのは、リスクを負うこと、つまり信頼することです。山岸俊男教授(北海道大 社会心理学)によれば、信頼する力のある人は、信頼に足るかどうかの客観的な情報を集めるのも上手い。一瞬にして信頼できると判断し、踏みこむ。ところがためらいが表情にでれば、「あいつはこちらを信頼していない」と認識され、スピードが問われる社会で取引するのは難しくなる。

 今回の反省は、私がこの外国人の同業者を信頼できると確信しないまま、つまりリスクを十分負わずに、他者に紹介したこと。そこで紹介文句にインパクトがなく、紹介された側がためらってしまった。みなさんに迷惑をかけ、申し訳ない。難しいと感じました。
 次はどうするか。紹介するときは、思い切って自分がリスクを負う(あたりまえですが)。それがかなわないなら、自分には無理だとお手上げする。

 現代こそ信頼することが問われている、実感しました。

2010/02/17

ものづくりの方向性は、やはりモジュール化か すると・・・

 昨日藤本隆宏教授の寄稿をきっかけに書かせていただきました。製品がますます複雑になれば、働き方はどうなるか、人と人の関わり方はどうなるか?今朝の日本経済新聞「経済教室」も藤本先生の論文(良い現場は日本に残せ)が掲載されていました。

 日本のものづくりの現場は、組織能力が高いので、日本に残した方がいい。もちろん、能力の高い組織についてです。それは同感。もっともですよね。先生のいわれる「ものづくり現場発の成長戦略」とは、1 能力の高い設計、生産拠点を日本に残す 2 設計・生産の調整負荷の高い、インテグラル型製品を角に産業構造と事業モデルを組む 3 より長期的には米中韓に負けない戦略構想力や分業型組織能力を磨き、モジュラー型製品に対応する。・・・・うん?モジュラー化?

 そうか、藤本教授もモジュラー化は避けられないとお考えか?私の認識ですと、複雑化の行き着く先の革命、単純化です。パラダイム転換といってもいいのかな。安易にモジュラー化に流れないというのが教授の主張。それでも、やはりいつかは来るということでしょう。たとえば、パソコンでインテルのチップとボード、マイクロソフトのOSが核となったように、自動車もなるとしたら。

 きっと働き方は変わるでしょうね。すりあわせ(インテグラル)から、もっとブランドマネジメントとか、ファイナンスにシフトするとなると、必要となる専門能力や組織内の主導権もシフトするでしょう?そして、コミュニケーションの取り方もわかるに違いありません。「分業の協力」はどう変わるのか。米中韓から学ぶことが増えるのか、日本式のユニークさをどう活かせるのか。

2010/02/16

複雑化への対応は、働き方に影響をおよぼすか

 トヨタの品質問題。今週の日経ビジネスでは、「トヨタの危機 瀬戸際の品質ニッポン」と特集されています。

 その中で、藤本隆宏教授(東京大学)の寄稿がおもしろかった。製品の複雑化が品質問題を困難にしているということ。藤本教授は、日本の自動車メーカーの組織能力が複雑化への対応を高めてきた。しかし、ハイブリッド車のような複雑な製品のもたらす負荷と組織能力のバランスが一時的に崩れたのが、今回の現象だというわけです。なるほど。

 負荷と能力の不均衡とは、こんな理解でいいでしょうか。物事が複雑になりすぎると、カレンシー(この場合情報)の交換が滞る。組織内の相互影響力が下がれば、改善の速度も遅くなり品質問題につながるに違いない。例えば、「もうわけがわからない」から、問題が放置されるといったことです。

 私の関心は、このようなときでも製品の複雑化が進むのだろうか。それとも革命がおこって一気に単純化するのだろうか(例えばすべてが電気自動車になってしまう)、という点です。複雑化が進むなら身内で仕事する方が有利でしょう。優秀な人間を囲い込んで、若いときから教育する。その会社でなければわからないような専門用語まで駆使して仕事をする。サプライヤーには自分の言葉(専門用語)で話しをさせます。容易にまねができないので、他社は追従が難しい。現在のトヨタのハイブリッドが、この典型でしょう。でもこれが単純化したらどうなるのか?

 きっとこれまでとは全く異なるカレンシーが交換されるようになるだろう。勉強していれば誰でも知っている言葉で話され、どこの会社でも同じような技術能力を持つようになる。そう考えると、実はわくわくします。今のトヨタの問題は、仕事の仕方まで変えるかもしれない。キャリアの視点もより短期間になるかもしれない。終身雇用が本当に終わりを告げる時を、今観ているのかもしれない、などと考えています。

2010/02/15

非暴力

 映画「ガンジー」をテレビで観ました。観たと言っても、後半たまたま見えていたという感じ。途中休憩が入る大作です。ベン・キングズレーの演技がすばらしい。あらためてマハトマ・ガンジーの非暴力を思いました。

 印象的だったのは、悪魔は心の中にいる。だから闘いは心の中でするというくだり。現実には、心の中の闘いは厳しいものです。私も顔を背けたくなる。しかし、実際、心の闘いから目を背けない人が他者を動かしているのです。相手の心に届くカレンシーを渡せるからです。
 ガンジーは、イスラム教徒とヒンズー教徒が衝突したとき、ハンガーストライキでそれを止めました。イスラム教徒に我が子を殺され報復したヒンズーの父親には、「地獄に行かない方法がある。それはイスラム教徒の子供を我が子にして育てることだ」という。父は救われました。心の闘いに臨めるでしょう。なんというカレンシーか。

 真の影響力は、自分との闘いですね。

2010/02/14

ああ、統合2

 今度は、新生銀行とあおぞら銀行が破談に。

 キリンとサントリーは、企業風土の違いが際だっていました。前者は三菱、後者は個性的なオーナー企業。それゆえの難しさを感じました。今回は、ともにもと政府系金融機関。とはいえ、ともに投資ファンドが株主となると、これはこれでやっかいな問題があったのでしょうか?

 いずれにしても、組織と組織のインターフェイス部分は難しい。本気で生き延びようとしない限り、どうしても「自分に有利に」「株主に有利に」という思いが働きます。組織内では「なんとかなる」という風潮だったのかな。ともに5年後、10年後にどうなっているかわからないと見られているだけに、対応が気になります。