2008/07/05

今週の橋爪功

 NHKのテレビドラマ「監査法人」は、毎週観ております。監査法人の方によると「あんなことは起こらない」そうですが、まあどちらかというと人間模様を楽しむドラマかな。
 法人理事長(橋爪功)は、東京地検に任意同行を求められ事情聴取されます。ここで検察官の質問に答えて、「監査は人間関係で成り立っている。この人間関係が日本経済を支えてきた」といった主旨の発言をします。この大ベテランも若いときには正義を振りかざして仕事をしていた。しかし、いつからか仕事に対する見方を変えていくのです。「人間関係で動く」という感覚は、もちろん多くのみなさんが納得できるところでしょう。とくに大きな仕事になればなるほど、人間関係を欠いて動かせることなどなくなっていきます。言い換えると、カレンシーの交換が頻繁に行われなければ、大きな案件は動かないのです。ところが、この理事長自身が陥ったように、何かを受け取ると「不本意にも返さなければならないもの」も増えてしまう。変革が滞る原因のひとつでしょう。
 ドラマでは、役所や外資をバックに変革を図る新しいリーダーが出てきます。でも彼も正論だけでは組織を動かせないはず。さて来週はどうなるか・・・

2008/07/04

仕事以外でも役立ちます

 「影響力の法則」セミナーにご参加いただいた、とある会社の技術部門のリーダーの方に、そのごいかがですか?とお話しをうかがいました。
 仕事では役立っている。うまくいかなかった人とは、協力できるところを見つけて、最後は15分ぐらいで関係が好転した。敵対する相手だと考えなければいいんだ、と思えたのがよかった。
 これを家で妻にも適用した。これまで考え方の相違があるのが、なんとなく許せなかった。しかし「影響力の法則」セミナーで学んだ「人はそれぞれ異なる世界をもっている」は妻にもあてはまるはずと考え、妻がなにに価値を置いているか、理解するよう努力した。あたりまえだが、妻には自分とは異なるものの見方があることに気づいた。その後、妻との関係もよりよくなっている。
 といったお話しでした。相手が自分と同じように思える。これはひとつの落とし穴のようです。このお話し、大変勉強になりました。ありがとうございます!

2008/07/03

無心であること

 PMオフィスの好川哲人さんが、ご自身のブログで「間」について書かれています(「プロジェクトマネジメントにおける型と守破離」)。たとえば、水墨画における空白、あるいは能における静止がこの間にあたります。ここで重要なのは、この間が心がお休みしている状態ではないということです。むしろ精神は集中し緊張の極み。それを間に表現するためには、他人にも自分自身にも緊張する心を隠していかなければならない。これが「無心」である。私はこのように理解しました。好川さんは、この無心であることが、プロジェクトでステークホルダーに相対するときに重要であると述べています。
 これを、影響力の法則でどう理解できるか。私は法則2「目標を明確にする」との関連に注目しました。
 プロジェクトに限らず仕事には、それぞれの具体的な目標がありますね。その目標が設定される理由、すなわち目的もある。「これは何のためにやっているんだ?」という問いに対する答えがあります。たとえば「新薬をX日までに上市する」という目標があり、その目的は「市場における競争優位」だったり「ひとりでも多くの患者さんの治療に、一日でも早く役立てる」であったりします。これをまとめて「プロジェクト本来の目標」としましょう。この本来の目標が相手にも伝わると、相手の心が動かされる。「よし、それならきみに協力してやる」ということになる。少なくとも、なりやすい。
 ところが、なかなかそう美しくはいきませんねえ。こちら側にいろいろな欲がありますから、それが見え隠れすること、しばしばです。たとえば、ここでいいところ見せてやろう、とか、自分の方が相手よりも物知りであるところを見せたい、とか。自分の強さ、正しさ、頭の良さを認めてもらいたくなることもあります。それは人の自然な欲望なのだと思います。これを「個人的な目標」と呼ぶとしましょう。問題は、こちら側の個人的な目標を見てとった相手が「きれい事を言っているが、本当は自分の出世欲で仕事しているんじゃないか?」と尻込みすること。こう感じられてしまったら、相手が協力するのをためらっても仕方ないでしょう?
 ここで「無心」が重要なのだと思います。本来の目標に向かって、相手と真剣に向き合う。そこでは、自分の「個人的な目標」を脇に置いておかなければなりません。脇に置くというのは能動的な心の働きで、気づかぬとは違います。まず自分の欲望や欲求を知らなければ、それを脇に置くことはできません。よって自分をだますのとも違うと思います。ここがなんとも微妙なところ。これには鍛錬が必要でしょう。「守破離」と結びつけられている、好川さんの論点は慧眼と思えます。

2008/07/02

楽器と一体

 今日、面談した学生が、面白いことを言っていましたよ。彼女は音楽学部の2年生で、ピアノが専門です。ピアノが人生のような学生です。
 私も、拙いながらもラテンパーカッションを学んでいると話すと、とても喜んでくれました。楽器が好きな人は心が広い。そこで私もいいところ見せようと思って「パーカッションをたたいていると、手のひらと楽器が一体になる感じがすることがあるんだ。ピアノでもあるのですか?」と尋ねました。鍵盤と指がひとつになるだろうか、との疑問を投げたのです。
 すると彼女、嬉しそうにこう答えてくれました。「ありますよ。私はグランドピアノが好きなんです。演奏しているとピアノの弦が見える。その弦の動きが自分の体の中に入ってくるのです。この感覚が気持ちよいのです!」この学生の話しに、私はすっかり魅了されてしまいました。そうかこの若さでそういう体験をしているんだなあ。私の楽器遊びとはレベルが違います。年齢にかかわらず相手に対する敬意を忘れてはいけない。
 この一体感のはなし、仕事の中でも体験できると思います。たとえば、本田技研の元社長久米是志氏が書かれた『「無分別」のすすめ』(岩波アクティブ文庫)などにも、主体と対象物の一体化の話しが見られます。久米氏のみならず、多くのかたがそのような体験を打ち明けています。
 これが対象物だけではなく、人との間にも似たような一体化を感じることがありますよね。いかがでしょうか?共通の目的に向かって夢中で仕事をしながら、強い協力関係ができてしまう。すると同じ目的の中で他者とひとつになっているような感じ。相手の世界が手にとるようにわかる。よしそれにのってやろう、とフットワークも軽い。すぐれたサッカーチームやオーケストラのようなイメージですね。
 このようなとき、自分も相手も自然に強力な影響力を発揮している。影響力の法則は、そのような状態をモデルにしたともいえます。
 私思うのですが、若い人から影響を受けられるというのは、なんというか幸せですね。若者の可能性を信じたいと思います。

2008/07/01

プログラムファシリテーター

 先日、ある会社で実施したプログラムは、大反響でまた実施できることになりました。ありがたいことです。
 セミナーなどのプログラムで、参加者の意欲を引き出すために、ここでもまたカレンシーの交換をしています。学ぼうという意欲さえ持てば、人は概ね成長する、というのが私のひとつの信念になっています。ですから、学びたいという意欲を高めるところに、プログラムの前半は腐心します。具体的には、プログラムの概念がわかりやすいようにいろいろな喩えを使いますね。この喩えがカレンシーになるようです。こちらが歩み寄るからでしょう。そのときに参加者の反応を見ていることがポイントです。うまく受け止めているようならOK。必要があると思えば、他の喩えも使う。カレンシーは受け取って初めて価値があるので、反応を見るのはとても大事です。こうして何のテーマかが分かれば、あとは生きた情報をもっている人たちを繋ぐ。今度は他の参加者の情報がカレンシーになる。プログラムでの最大の価値は、他の参加者とのであいかも知れませんよ。
 実は過去20年、私はこれをほとんど無意識にやってきました。おそらくご同業のみなさんの多くもそうでしょう。影響力の法則と出会ってからは、とくにこの交換を意識してファシリテーションしています。このような考え方は、みなさんの会議などにも使えます。会議の参加意欲を高めれば、よい討議になるというもの。ぜひお試しください。

日経ヒューマンキャピタル2008 出展します

 日経BP社主催の「日経ヒューマンキャピタル2008」に出展します。3日間で40,000人に近い来場があるイベント。できる限り多くの方に「影響力の法則」に触れていただければと考えております。7月23日〜25日に東京国際フォーラムで開催されます。ぜひみなさんお越しください。
 ただ、ひとつお詫びが。このイベントの中、7月25日17:00〜18:00にワークショップを開催します。タイトルは『あの上司さえ動かす、リーダーの秘密ー「影響力の法則」』です。こちらが昨日、みなさんに告知する前に満席になってしまいました。がらがらの会場で私がひとり寂しく話すのかも、と思っていただけに、正直に言えばほっとしましたが、席がなくなってしまうとは本当に申し訳ないです。
 ご興味のある方には、直接オフィスにうかがってお話しさせていただきます。お申し付けいただければ幸いです。
日経ヒューマンキャピタル2008
インフルエンス・テクノロジーLLC

よろしくお願いします!

2008/06/30

紙一枚

 今朝の日本経済新聞に、住友商事加藤進社長の若かりし頃のエピソードが書かれていました(2008年6月30日朝刊13版11面)。今は社長となられた加藤氏ですが、若いときは大きな失敗もあったとのこと。それを忘れずに、自分の仕事と人生の糧にされているのだな、と記事を読んで感じました。私たち忘れてしまって繰り返すことが少なくありません。それだけにその人が覚えていることには、その人の人生の価値を感じます。
 このようなお話しです。オーストラリアの会社に針金を売った。ところが品質問題でクレームとなった。加藤氏はその解決策を1枚の紙に書いて、製造会社の社長に渡した。このやり方が、社長を怒らせてしまった。ここで加藤氏が学んだことは、住友商事の自分にとっては、小さなクレーム処理だったろうが、従業員50人の小さな会社の社長さんから見れば死活問題だ。相手が必死になって再発防止策を考えていたのに、紙一枚で解決しようとしていた自分はいたらなかった、ということです。このエピソードには、仕事に対する真剣さ、相手の立場に立った努力、信頼関係の重要性、などが示唆されており、私はいい話だなあと感じました。
 さて、これをカレンシーの交換で考えてみる。真剣に仕事をしたにもかかわらず品質の問題を起こした社長は、必死だった。自分の何が悪いか分からない。病名の分からない症状と同じです。このままでは会社をつぶすかもしれない。だから必死。必死で努力している人に、紙一枚は大きなネガティブカレンシーとなったのでしょう。そんなに軽く考えないでくれと。これではポジティブなカレンシーになり得ない。こちらも必死で考えないと。
 これはもちろんお客に対してだけの問題ではありませんね。部下に対して、配偶者に対して、子供たちに対して、知らず知らずのうちに軽くあつかってしまいがち。それでは、彼らが真剣に応えなかったとしても仕方ないんじゃないかなあ。加藤氏はこの後社長にまでなるのだから、お客だけでなく同僚や部下にも真剣に応えていったのではないでしょうか。住商400年の重みはこんなところにも見られるといってもいいかな。
 自分も紙一枚、はらりと渡してすまそうとしていることがないだろうか・・・・

2008/06/29

親に対する教師の影響力

 昨日は、大学院の同窓会(クラス会)に参加してきました。私はカウンセリング専攻でしたので、同級生には教育関係者が少なくありません。教授を除く集まった9人のうち、学校関係者は6名。私のように非常勤で教えているのとはちがってみな専任で、高校、大学、教育委員会で活躍中。こういう機会でないと、学校の先生の話しは聞けません。学校の現場は本当に大変のようですね。生徒にも親にも振り回されている、といっていいのか。
 生徒を動かすのに、どのようなカレンシーが効くでしょうか?うーん、なんでしょう。将来ある若者が、大人に何を求めるかで考えたらいいいのではないかな。具体的には・・・ビジョン?正しさ?厳しさ?・・・みなさんはどう思われますか?
 一方親はどうでしょうか?まずは、現在のご両親の多くが見ている世界を理解する必要があるでしょう。ひとことで言えば、余裕がない。目の前の、それも人から与えられた課題に一生懸命向かっている。ひとつの課題を達成すると、また次が来る。というより、課題を達成する前に次が来てしまうので、できの悪いまま次に進まなければならない。息つく暇がないばかりでなく、雑になりがちな仕事から達成感などなかなか味わえません。子育ても、そのような与えられた課題のひとつに過ぎないのかなあ。やりとげた感がないと、自信が生まれないのではないでしょうね。自信がない、不安。だから落ち着かない。
 さて、本当に心から自分を理解し、共感し、励ましてくれる人がいたら、落ち着けるかもしれない。親が不安を低減できれば、親と教師の間にもっと協力関係を築けるかもしれない。親にこそカウンセリングが役立つのかもしれない。などと、思いました。とはいえ、そんなことしたら、ただでさえ提出書類が増えて手一杯の教員たちに、なお一層負荷がかかる。これが現実的なのか・・・
 現実的かどうかはともかく、まずは本当の問題をつかまなければいけないなあ、でも簡単じゃないなあ、と思いました。