数年ぶりで神宮へ。東京六大学野球 立教対東大戦を同窓の盟友と観戦しました。もちろん立教を応援。結果は事前の予想通り、5-0で立教の勝利となりました。
試合前の練習では、立教の選手がピッとボールを投げるのに対して、東大の選手は山なり。ボードを見ると他の私学並みに近年野球枠を入学させている立教は、PL学園、横浜、大阪桐蔭と甲子園の常連校出身者がいるのに、東大は麻布、灘、武蔵など。差があるよなー。そう思うと東大の選手の方が小柄に見えます。「大差で立教だな」と思ってしまいます。
ところが試合が始まってみると東大の方がいい当たりは出ているし、安打数も8本ぐらい打ち遜色なし。何度も得点のチャンスがありました。投手も急速こそ120キロぐらいでしたが、立教のクリーンナップから三振を奪うなど好投。中盤までは投手戦の様相だったんですよ。守備では併殺も連発して全く遜色なし。3点ぐらいとっていても不思議はない。しかし1点もとれずに完敗です。おかげで立教に優勝の可能性を残しました。
なぜでしょう。残念ながら東大の選手は、今一歩のところで決め手を欠いており、チャンスに点がとれない。逆に、投手も最後に粘りきれず、長打を浴びてしまう。この最後の精神力のようなものが全く違う。ピンチに追い込まれるほどに集中力を高める立教の選手にたいして、東大の選手が追い込まれると最後にはどこか他人事になってしまうのが、とても印象的でした。三振をとった投手自身が驚いちゃっているんじゃあね。ですから立教サイドはピンチになっても点を取られる気がしないし、負ける気がしない。逆に3塁側は最初から勝てる気がしなかったでしょうね。じわじわと点差が開き、結局立教の大勝に。
それが組織の差だなあ、と感じました。勝つチームは最初から勝っていますね。たぶんグラウンドに出た時点で「勝っている」と感じている。古田敦也もいっていたとおり「優勝したときは、試合前に勝つ気がしていた」という感覚でしょう。チームはその感覚をつかまなければ、本当のチームにはなりません。ビジネスで考えれば、「売れない」「競争力がない」と思っていたら、最初から売れません。そういう時はどこか他人事になってしまう。どうやって、勝つチームの感覚を味わわせるか。ここがリーダーの仕事でしょう。
それはやはりフィードバックだと思います。フィードバックとは、本来システム用語で当事者に関する情報を戻すことです。この場合、「勝つ」感覚を強化することといっていいでしょう。ロンメル将軍は小さな戦勝を積み重ねたそうです。NYヤンキースは、常勝集団であることを徹底的に教育するとききました。いずれにしても優れたフィードバックが必要ですね。「遠慮」や「謙遜」に拮抗するフィードバック。影響力の法則では、このようなフィードバックが重要なカレンシーである、と定義しています。私たちの組織を本当のチームにするのに、どんなフィードバックが有効でしょうか。ほめる?機会を与える?対外試合をさせる?いろいろな方法があると思います。
さて、こうして野球は立教の勝利となり、優勝に望みをつなぎました。選手の健闘をたたえたい。東大もよくやった。これが別の領域だったら、東大が圧勝することもあったでしょうね。ああ、面白かった!
2011/05/22
2011/05/18
再選挙
以前取り上げた千葉県議会議員選挙、浦安選挙区。次の日曜日が投票日となりました。4月の選挙では立候補しなかった新しい候補者が出馬されてびっくり。民主、自民で分け合っていたところに、みんなの党の新人さんが出てきたのです。これが答えだったのか、と感心するばかり。結果的には、新人さんに準備期間を差し上げたようなものですよねえ(真意はわかりませんが、そう思われてしまうのは覚悟の上と思います)。
浦安が液状化で被災したのは周知の通り。そんな大変な状況に、党首クラスで早々に浦安入りしたのはみんなの党の渡辺代表だけだったとか。恩義を感じない人はいないでしょう。原則が揺らぐのはやむを得なかったんじゃないかな。
それにしても、こうして簡単に原則が揺らぐものなんですね。意識していなければ、大事なときに揺らいでしまいます。山本七平著『人望の研究』を読んで思った次第。(この本も食わず嫌いで読まなかったんですが、おもしろかった。また今度書きます)
浦安が液状化で被災したのは周知の通り。そんな大変な状況に、党首クラスで早々に浦安入りしたのはみんなの党の渡辺代表だけだったとか。恩義を感じない人はいないでしょう。原則が揺らぐのはやむを得なかったんじゃないかな。
それにしても、こうして簡単に原則が揺らぐものなんですね。意識していなければ、大事なときに揺らいでしまいます。山本七平著『人望の研究』を読んで思った次第。(この本も食わず嫌いで読まなかったんですが、おもしろかった。また今度書きます)
2011/05/08
松下氏の警世
関西では関東と異なるテレビ番組になっているようです。7日朝5:15からNHK「関西想い出シアター」では、松下幸之助氏の「警世」を放映しました。1975年の番組。当時80歳の松下氏が、政治経済の状況を憂い、インタビューに応えていました。
いわく、いよいよ経済が行き詰まり、もはや経済活動だけで回復することは困難である。民間ではできないような国家レベルの事業に国が先行投資すべきだ(ただし赤字国債はだめ)。政治も経済も行き詰まっているのは、その病根がわからないからである。日本は戦後、日本は実力で再興したと思っているが、実際は外国の援助があったからこそだ。本来敗戦で罰せられるべきところを助けられ、甘えてしまった。それゆえに、精神的にバラバラである。戦後30年たってようやく精神的に敗北を味わっているのだろう。今こそ、精神的な復興を遂げなければならない・・・。といった内容でした。
もし、問題の病根をつかんでいなければ、自主的な解決は覚束ないでしょう。そのときからさらに35年。今も同じ病根を抱えているのなら、なんら解決することなく病はいよいよ深刻と言えます。私もそうですが、人はなかなか弱みと向き合うのが難しい。その前に、ドラッグストアで鎮痛剤を買ってきてしまう。組織であれば、自分だけでなく部下にも問題に向き合わせなければなりません。また、このようなときだからこそ向き合わなければならない現実もあります。
関西ではおもしろい番組やっていますね。東京では観られないのかな。
いわく、いよいよ経済が行き詰まり、もはや経済活動だけで回復することは困難である。民間ではできないような国家レベルの事業に国が先行投資すべきだ(ただし赤字国債はだめ)。政治も経済も行き詰まっているのは、その病根がわからないからである。日本は戦後、日本は実力で再興したと思っているが、実際は外国の援助があったからこそだ。本来敗戦で罰せられるべきところを助けられ、甘えてしまった。それゆえに、精神的にバラバラである。戦後30年たってようやく精神的に敗北を味わっているのだろう。今こそ、精神的な復興を遂げなければならない・・・。といった内容でした。
もし、問題の病根をつかんでいなければ、自主的な解決は覚束ないでしょう。そのときからさらに35年。今も同じ病根を抱えているのなら、なんら解決することなく病はいよいよ深刻と言えます。私もそうですが、人はなかなか弱みと向き合うのが難しい。その前に、ドラッグストアで鎮痛剤を買ってきてしまう。組織であれば、自分だけでなく部下にも問題に向き合わせなければなりません。また、このようなときだからこそ向き合わなければならない現実もあります。
関西ではおもしろい番組やっていますね。東京では観られないのかな。
京都、奈良
2泊3日で京都、奈良を訪れ、先ほどかえったところ。年々神頼みの部分が増えてきて、寺やら教会やらのご厄介になっています。今回は、興福寺と春日大社、いつもの東寺を参詣しました。興福寺では白鳳、天平時代からその後の仏教文化への繋がりを、春日大社には自然への畏敬を感じました。東寺では、講堂立体曼荼羅の大日如来にしびれました。もちろん、この季節、東山、春日山の緑が美しく、訪ねてよかったなあとしみじみ思いました。
帰り際に京都国立博物館、法然展を参観。法然をよく存じなかったものの、浄土教の開祖、さすがに素晴らしい。平安時代までは宗教は貴族のためのものであり、庶民のものではなかったですよね。それが、念仏を唱えるだけで誰でもすくわれる、漁師でも遊女でもすくわれる、となります。やはり宗教はすくわれない人に寄り添ってきたものだと思います。これは宗教だけでなく、ビジネスや政治でも同じではないでしょうか。すくわれない人に向き合っていくことが歴史を拓いてきたのだろう、と思いました。
一方、親鸞を始め優れた弟子を得たのも、法然上人の功績と思います。弟子に恵まれる人は偉すぎず、小難しいことをいわない。キリストもそうですよね。自分が伝えたいことを本当に伝えたければ、一代ですむはずがない、次世代までつながらなければならないでしょう。すなわち弟子がいてこそ、その人の教えは本物なのでしょうね。
今回は、GWというのにクルマで行っちゃいましたが、行きも帰りも渋滞なし。中央道から名神高速を経て大津でおりたところ、初めて高速料金1000円で行けました。不要不急の自家用車利用は避けろというお達しだったのに、途中親族を訪ねることもあり、こうなった次第。ともかく、1000円の高速道路は最初で最後となりそうです。
帰り際に京都国立博物館、法然展を参観。法然をよく存じなかったものの、浄土教の開祖、さすがに素晴らしい。平安時代までは宗教は貴族のためのものであり、庶民のものではなかったですよね。それが、念仏を唱えるだけで誰でもすくわれる、漁師でも遊女でもすくわれる、となります。やはり宗教はすくわれない人に寄り添ってきたものだと思います。これは宗教だけでなく、ビジネスや政治でも同じではないでしょうか。すくわれない人に向き合っていくことが歴史を拓いてきたのだろう、と思いました。
一方、親鸞を始め優れた弟子を得たのも、法然上人の功績と思います。弟子に恵まれる人は偉すぎず、小難しいことをいわない。キリストもそうですよね。自分が伝えたいことを本当に伝えたければ、一代ですむはずがない、次世代までつながらなければならないでしょう。すなわち弟子がいてこそ、その人の教えは本物なのでしょうね。
今回は、GWというのにクルマで行っちゃいましたが、行きも帰りも渋滞なし。中央道から名神高速を経て大津でおりたところ、初めて高速料金1000円で行けました。不要不急の自家用車利用は避けろというお達しだったのに、途中親族を訪ねることもあり、こうなった次第。ともかく、1000円の高速道路は最初で最後となりそうです。
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