浦安市では、被災のため投票所の準備ができていないことを理由に、統一地方選挙を延期しようとしています。一方県選管では、是正指示を出しました。つまり、選挙を実施するようにと。
市民としては複雑です。未だに上下水道が不通のエリアがあり、一部の自治会で選挙どころじゃない、といっているらしいのです。まあ、確かにそうでしょう。でも選挙戦が始まっているのに、候補者が誰かを知らないというのは、ちょっと異常事態と感じます。看板が立っていないんですから!
市長としては、一部の市民に配慮したものだと思います。もちろん市職員も復旧に追われて大変でしょう。しかし、民主主義で、市民には投票の権利があり、法律に則って選挙が行われているというのに、情報が入ってこないというのは、マグレブ諸国やら世界各地の独裁国家の市民というのは、こういう体験をしているのかなあ、と想像をかき立てられるものであります。
個人的には、カンボジアでもバルカンでも、完全な状態ではなくても選挙をやったわけですし、「みなさんにはご苦労をかけていますが、選挙は国民主権の基本です、やらせてください」とお願いしてやるべきじゃないの、と思いますが。いかがですかねえ?
なぜこんなことになってしまったのか?想像してみると・・・、市内一部地域では被災地に対する市の対応に不満が噴出していると聞いています。当然、復旧が遅れれば不満も募ります。それで市側はそうとう不満をぶつけられたのでしょう。早く何とかしろ、行政はなっとらんと。それで優先順位が変わって(選挙が下がって)しまった。言い換えると、一部市民に特別カレンシーを渡して、埋め合わせしなければならない状況。これは好意的な解釈です。
意地悪な解釈は、市長がリーダーシップを発揮している格好いいところを見せたかったか。県や国にくってかかるとウケるのは、大阪や名古屋で見てますからね。とはいえ、市長は4選を果たしたばかりだし、松崎さんは立派な方ですから、これはないと考えましょう。いずれにしても真相がわかるのはずっと先でしょう。
私の興味は、後に引けなくなった市長が次にどんな行動に出るか。鹿児島方面で見られたような議会不在のまま先決決裁の独裁者?になるのか、適当な着地点におりられるのか。もちろん、選挙をやらない、というのに黙っていない市民も出てくるはずだし。県と市が互いにネガティブカレンシーを交わし合った結果に目が離せません。
2011/04/02
2011/03/29
停電の交差点
計画停電の日は、信号が点灯していない場所があり、ひやひやさせられます。一昨日でしたか、またある交差点で。
ああ、停電している、嫌だなあ、と思いながら、私は直進しようと思います。前には右折するクルマが並んでいるばかり。警察官はその影で見えません。この交差点どうなっているのか・・・。まずは速度を落として接近し、手信号を送っているはずの警察官を捜します。いたいた一人の白い上着を着た警察官が、右折車に進むよう合図を送っています。そして接近する私の車を見て直進しろ、と右腕を振りました。私はちょっと安心してそのまま交差点を直進することができました・・・。
お気づきと思いますが、私は警察官を目で捜し、警察官の指示を仰ぎ、言われるままにクルマを走らせました。その間、他のクルマの動きを見ていません。ただ、警察官の動きを見ていただけです。この場合、私は一切現実に起こっている動きを注視していません。左からクルマが来ていたかもしれませんが、一瞥もくれていません。それで、走り抜けちゃった。
これって、会社でおこっていることに似てませんか。こうやって、会社で生き抜いている人たくさんいますよね。上役の顔色だけ見て、指示を待つ。現実を見ようとしない。何が問題で、何が起こりうるのか、一切関知しない。
私にとって信号のない交差点はちょっと慣れない状況です。人はなれない状況にはいると、現実よりも他人の動きを気にしてしまい、他人に言われるがまま動きやすくなるのでしょう。会社の中でも同様の出来事が少なくないはず。しかし、リーダーの立場にいれば、そんなときでもメンバーには自分の顔色ではなく現実を見るように促すことが大切です。そうして現実を直視し、主体性を発揮させること。そうして自分で判断する能力を培うこと。
コーエンと、ブラッドフォードは、このようなリーダーシップを責任共有のリーダーシップ(ポストヒロイックリーダーシップ)と呼びました。責任共有のリーダーシップのもとでは、メンバーは主体性を発揮することが強く求められます。初めての状況であっても、難しい状況にあっても、メンバーは現実を見据え、自ら判断しなければなりません。その結果、よりよい判断を速く下せるようになると考えます。難しい状況でこそ、メンバーの能力が求められるのですから。もちろん、メンバーが主体性を発揮するにはリーダーの影響力が求められます。日本でも成功しているプロジェクトは、リーダーがメンバーに考えさせていますよね。アメリカでも同じだそうです。みなさんの難しいプロジェクト、メンバーの頭は回っているでしょうか?
それにしても、交差点で信号をちゃんと出している警察官っていませんね。昔、教習所で習ったウデを広げたり向きを変えたり、というのはやらないんでしょうか。今、交差点で見られる、あのような仕事ぶりなら、工事現場で交通整理をしている警備員でも十分なんじゃないかなあ。警察官も慣れない状況にいるんでしょうね。(この記事は、警察官の訓練風景のようです)
ああ、停電している、嫌だなあ、と思いながら、私は直進しようと思います。前には右折するクルマが並んでいるばかり。警察官はその影で見えません。この交差点どうなっているのか・・・。まずは速度を落として接近し、手信号を送っているはずの警察官を捜します。いたいた一人の白い上着を着た警察官が、右折車に進むよう合図を送っています。そして接近する私の車を見て直進しろ、と右腕を振りました。私はちょっと安心してそのまま交差点を直進することができました・・・。
お気づきと思いますが、私は警察官を目で捜し、警察官の指示を仰ぎ、言われるままにクルマを走らせました。その間、他のクルマの動きを見ていません。ただ、警察官の動きを見ていただけです。この場合、私は一切現実に起こっている動きを注視していません。左からクルマが来ていたかもしれませんが、一瞥もくれていません。それで、走り抜けちゃった。
これって、会社でおこっていることに似てませんか。こうやって、会社で生き抜いている人たくさんいますよね。上役の顔色だけ見て、指示を待つ。現実を見ようとしない。何が問題で、何が起こりうるのか、一切関知しない。
私にとって信号のない交差点はちょっと慣れない状況です。人はなれない状況にはいると、現実よりも他人の動きを気にしてしまい、他人に言われるがまま動きやすくなるのでしょう。会社の中でも同様の出来事が少なくないはず。しかし、リーダーの立場にいれば、そんなときでもメンバーには自分の顔色ではなく現実を見るように促すことが大切です。そうして現実を直視し、主体性を発揮させること。そうして自分で判断する能力を培うこと。
コーエンと、ブラッドフォードは、このようなリーダーシップを責任共有のリーダーシップ(ポストヒロイックリーダーシップ)と呼びました。責任共有のリーダーシップのもとでは、メンバーは主体性を発揮することが強く求められます。初めての状況であっても、難しい状況にあっても、メンバーは現実を見据え、自ら判断しなければなりません。その結果、よりよい判断を速く下せるようになると考えます。難しい状況でこそ、メンバーの能力が求められるのですから。もちろん、メンバーが主体性を発揮するにはリーダーの影響力が求められます。日本でも成功しているプロジェクトは、リーダーがメンバーに考えさせていますよね。アメリカでも同じだそうです。みなさんの難しいプロジェクト、メンバーの頭は回っているでしょうか?
それにしても、交差点で信号をちゃんと出している警察官っていませんね。昔、教習所で習ったウデを広げたり向きを変えたり、というのはやらないんでしょうか。今、交差点で見られる、あのような仕事ぶりなら、工事現場で交通整理をしている警備員でも十分なんじゃないかなあ。警察官も慣れない状況にいるんでしょうね。(この記事は、警察官の訓練風景のようです)
2011/03/23
リーダーの言動1
震災の被災者のみなさんには、心からお見舞い申し上げます。私は中越地震の時に長岡に赴き、ささやかですが被災生活のお手伝いさせていただきました。そのときも長岡のみなさんはご苦労されましたが、今回は街全体がなくなってしまっている。大変なご心労とお察しします。
時間がたつにつれて、日々新たな課題に直面しています。原発事故はその最たるもの。数万人の周辺住民が避難生活を余儀なくされています。原発のエネルギーで便利な生活を送っている都市生活者として、申し訳ない気持ちです。現在の豊かな都市生活だけでなく、CO2削減も、電気自動車推進も、原発を前提としたもの。原発プラント事業で買収や提携を進めてきた東芝や日立の経営にも大きな影響はさけられません。その背後には何十万という雇用があります。それだけ私たちは原発に依存していますよねえ。それなのに、私たちは自分の街の近くには原発を置かず、福島や福井などの都市から離れた沿岸部に追いやってきました。
原発があればいつかこんなことがあり得ると思っていたものの、実際に起こってみると、やはり責任を分かち合わなければと思います。福島県の佐藤知事が国民にこの責任を感じてほしい、という旨の発言をされていました。私は同意しますが、現地の首長からそれを聞くのか・・・。政府からも同様の発言があるべきだと思います。本来は電力供給を受けている都県からも、あってしかるべきではないでしょうか。避難者の受け入れも、同情からか責任感からかは重要。リーダーのメッセージで、方向付けられると思うのですが。
ようするに、市民の責任感は、リーダーの言動ひとつで変わってくるのでは、ということを思った次第。
さて、先日石原都知事が首相官邸に抗議に赴いた、との記事がありました。何でも”政府関係者が東京消防庁職員に、放水しないなら処分する”といった、ということです。そのため無理な放水をして、放水車が故障したと。その関係者とは、海江田経産相なのだとか。海江田氏もそれを認めて謝罪したそうです。まあ、何とお粗末なことか。石原氏の言うとおり、こんなこと言っていては「兵隊は動かない」ですよね。
私が思ったのは、なんでこんな馬鹿なことを言わなければならなかったのか。首相を目指す海江田氏の性格か、初めて大臣になって頑張りすぎてしまったのか。配下でない消防庁の職員が動かないので怒り心頭になったのか。まあ、いずれにしても立場を得たから人が動くのは幻想、といえるでしょう。このような脅しともとられる言動は、現場の職員にとってかなりの負のカレンシーとなっているはず。他の公務員や官僚も、それを見ていやなやつとおもっているに違いありません。
この負のカレンシーは、いつか負のカレンシーとしてかえってきます。相手がいやがることをすれば、いつかその報いを受けるというわけですね。今回の消防庁の例は、彼らに高度な専門能力があり、リーダーがそれを必要としている状況です。そのうえ、海江田氏は上長ではない。現場から見れば、何言っているんだ、という程度のこと。すでに石原氏を通じて悪い評判(負のカレンシー)を手渡された海江田氏。海江田氏本人としてはリーダーシップを発揮したかったのでしょうが、負のカレンシーを散布した結果的、将来にわたって負のカレンシーをもらい続けることになるのかも。菅氏が優秀な政治家だったにもかかわらず、大臣になると何もできないのも、官僚を恫喝して負のカレンシーをばらまいてきたからだと思います。彼のために動いてくれる人は少ないに違いありません。海江田氏も影響力を落とさなければよいのですが。
それにしても、リベラルの政治家に誤解が多いのは残念。なんでリベラルと思われる人ほど、怒鳴っちゃうのかなあ。リベラルでリーダーシップのある人、いないものでしょうかねえ。数少ない人材である、松沢神奈川県知事も無力化されたし(彼も”まともな”政治をやってきたので、それを負のカレンシーと考える行政改革の反対勢力に消されたのでは?なんて)。
やはり、実るほど頭を垂れる稲穂かな。本当に改革をやろうと思ったら、忘れてはいけませんねえ。
時間がたつにつれて、日々新たな課題に直面しています。原発事故はその最たるもの。数万人の周辺住民が避難生活を余儀なくされています。原発のエネルギーで便利な生活を送っている都市生活者として、申し訳ない気持ちです。現在の豊かな都市生活だけでなく、CO2削減も、電気自動車推進も、原発を前提としたもの。原発プラント事業で買収や提携を進めてきた東芝や日立の経営にも大きな影響はさけられません。その背後には何十万という雇用があります。それだけ私たちは原発に依存していますよねえ。それなのに、私たちは自分の街の近くには原発を置かず、福島や福井などの都市から離れた沿岸部に追いやってきました。
原発があればいつかこんなことがあり得ると思っていたものの、実際に起こってみると、やはり責任を分かち合わなければと思います。福島県の佐藤知事が国民にこの責任を感じてほしい、という旨の発言をされていました。私は同意しますが、現地の首長からそれを聞くのか・・・。政府からも同様の発言があるべきだと思います。本来は電力供給を受けている都県からも、あってしかるべきではないでしょうか。避難者の受け入れも、同情からか責任感からかは重要。リーダーのメッセージで、方向付けられると思うのですが。
ようするに、市民の責任感は、リーダーの言動ひとつで変わってくるのでは、ということを思った次第。
さて、先日石原都知事が首相官邸に抗議に赴いた、との記事がありました。何でも”政府関係者が東京消防庁職員に、放水しないなら処分する”といった、ということです。そのため無理な放水をして、放水車が故障したと。その関係者とは、海江田経産相なのだとか。海江田氏もそれを認めて謝罪したそうです。まあ、何とお粗末なことか。石原氏の言うとおり、こんなこと言っていては「兵隊は動かない」ですよね。
私が思ったのは、なんでこんな馬鹿なことを言わなければならなかったのか。首相を目指す海江田氏の性格か、初めて大臣になって頑張りすぎてしまったのか。配下でない消防庁の職員が動かないので怒り心頭になったのか。まあ、いずれにしても立場を得たから人が動くのは幻想、といえるでしょう。このような脅しともとられる言動は、現場の職員にとってかなりの負のカレンシーとなっているはず。他の公務員や官僚も、それを見ていやなやつとおもっているに違いありません。
この負のカレンシーは、いつか負のカレンシーとしてかえってきます。相手がいやがることをすれば、いつかその報いを受けるというわけですね。今回の消防庁の例は、彼らに高度な専門能力があり、リーダーがそれを必要としている状況です。そのうえ、海江田氏は上長ではない。現場から見れば、何言っているんだ、という程度のこと。すでに石原氏を通じて悪い評判(負のカレンシー)を手渡された海江田氏。海江田氏本人としてはリーダーシップを発揮したかったのでしょうが、負のカレンシーを散布した結果的、将来にわたって負のカレンシーをもらい続けることになるのかも。菅氏が優秀な政治家だったにもかかわらず、大臣になると何もできないのも、官僚を恫喝して負のカレンシーをばらまいてきたからだと思います。彼のために動いてくれる人は少ないに違いありません。海江田氏も影響力を落とさなければよいのですが。
それにしても、リベラルの政治家に誤解が多いのは残念。なんでリベラルと思われる人ほど、怒鳴っちゃうのかなあ。リベラルでリーダーシップのある人、いないものでしょうかねえ。数少ない人材である、松沢神奈川県知事も無力化されたし(彼も”まともな”政治をやってきたので、それを負のカレンシーと考える行政改革の反対勢力に消されたのでは?なんて)。
やはり、実るほど頭を垂れる稲穂かな。本当に改革をやろうと思ったら、忘れてはいけませんねえ。
2011/03/07
戦争の回避は難しかったのか・・・
NHKでは4回にわたって、「日本人はなぜ戦争へと向かったか」を取り上げていました。なかなか興味深く、難しい問題で、簡単には語り尽くせないとテーマ。番組に登場していた研究者が「日米開戦史」専攻ということからも、深く研究するに値するテーマと思います。
最終回の今日は、リーダーたちはなぜ開戦をとめられなかったのか、というお話しでした。近衛首相以下連絡会議のメンバーはみな戦争すれば負けると思っていたというのが、深刻です。陸軍大臣(後に総理大臣)の東条英機ですら、勝てないことを知っていた。なぜなら日米間の戦力の格差は歴然としていたからです。もっとも大きいのは石油で、主としてアメリカからの輸入に頼っていたわけですから、なおのことです。それなのに・・・、負けるとわかっていた戦争を回避できないメカニズムが働くというわけですね。
最大の問題は、戦争への深入りです。この場合、日本は日中戦争に思い切り投入していました。多くの命や費用がつぎ込まれてしまうと後に引けなくなる。現場からはもっと戦費を注いでくれれば勝てる、仲間の命を無駄にはできない、といった心理が働くでしょうし、国民は失政を許さないでしょう。リーダーは部下や社会といったステークホルダーの圧力を感じるはずです。事実、戦前はリーダーが暗殺されました。欧州で東西が統合されたとき、東独、ルーマニア等、リーダーは裁判にかけられて、ろくな死に方をしていません。最近では中近東で国家元首が国民に追われる事態になっています。そういう結末を見ていれば、某国の独裁者もおいそれとは国を開放できませんよねえ。
深入りを避けられればよいのかもしれませんが、弱いコミットメントを許容するようでは、難しい状況でリーダーシップは機能しないでしょう。つまり、目一杯東に振って、西にひきづり戻すようなもの。これは大変な影響力です。
まず、現実を見なければなりません。厳しい現実かもしれませんが、負けることを理解していなければ。そして、部下たちにもその現実を見せなければなりません。
しかし、部下が負けることを受け入れるかというと、それは簡単じゃないですよ。部下は思いっきり否定的なカレンシーを受け取っているのです。「負けるはずはない」というのは、現場で頑張っているほど思いたいはず。リーダーは自分の非を認め、昔なら切腹ですよね。それで許してもらえれば、ラッキーというところでしょう。日頃から、小さなカレンシーを渡して信頼関係を築くことがせいぜいでしょう。ナポレオンは、配下にまめに声をかけたそうです。麻生太郎氏の元部下という方に伺ったお話ですが、実に細やかに声をかけられるので、部下は感激したといっていました(その麻生さんにとっても厳しい今のリーダーの役割かもしれません)。
今夜は、小さなカレンシーの積み上げで信頼関係を築く、としておきましょう。(つづく)
最終回の今日は、リーダーたちはなぜ開戦をとめられなかったのか、というお話しでした。近衛首相以下連絡会議のメンバーはみな戦争すれば負けると思っていたというのが、深刻です。陸軍大臣(後に総理大臣)の東条英機ですら、勝てないことを知っていた。なぜなら日米間の戦力の格差は歴然としていたからです。もっとも大きいのは石油で、主としてアメリカからの輸入に頼っていたわけですから、なおのことです。それなのに・・・、負けるとわかっていた戦争を回避できないメカニズムが働くというわけですね。
最大の問題は、戦争への深入りです。この場合、日本は日中戦争に思い切り投入していました。多くの命や費用がつぎ込まれてしまうと後に引けなくなる。現場からはもっと戦費を注いでくれれば勝てる、仲間の命を無駄にはできない、といった心理が働くでしょうし、国民は失政を許さないでしょう。リーダーは部下や社会といったステークホルダーの圧力を感じるはずです。事実、戦前はリーダーが暗殺されました。欧州で東西が統合されたとき、東独、ルーマニア等、リーダーは裁判にかけられて、ろくな死に方をしていません。最近では中近東で国家元首が国民に追われる事態になっています。そういう結末を見ていれば、某国の独裁者もおいそれとは国を開放できませんよねえ。
深入りを避けられればよいのかもしれませんが、弱いコミットメントを許容するようでは、難しい状況でリーダーシップは機能しないでしょう。つまり、目一杯東に振って、西にひきづり戻すようなもの。これは大変な影響力です。
まず、現実を見なければなりません。厳しい現実かもしれませんが、負けることを理解していなければ。そして、部下たちにもその現実を見せなければなりません。
しかし、部下が負けることを受け入れるかというと、それは簡単じゃないですよ。部下は思いっきり否定的なカレンシーを受け取っているのです。「負けるはずはない」というのは、現場で頑張っているほど思いたいはず。リーダーは自分の非を認め、昔なら切腹ですよね。それで許してもらえれば、ラッキーというところでしょう。日頃から、小さなカレンシーを渡して信頼関係を築くことがせいぜいでしょう。ナポレオンは、配下にまめに声をかけたそうです。麻生太郎氏の元部下という方に伺ったお話ですが、実に細やかに声をかけられるので、部下は感激したといっていました(その麻生さんにとっても厳しい今のリーダーの役割かもしれません)。
今夜は、小さなカレンシーの積み上げで信頼関係を築く、としておきましょう。(つづく)
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