イースターのミサに参りました。私にとってはあまりなじみのない、キリスト復活の日です。クリスチャンの方には大いにおめでたい日。クリスマスと並ぶお祝いです。また、この復活がキリスト教信仰の一つの軸になっていますから、とても大事な日です。朝8時のミサというのに、100名ぐらいは見えていたでしょう。観光バスで外国人旅行者の集団もきていました。
とても印象的だったのは、ある聖歌の一説です。趣旨は「天国の門が開かれ、罰の連鎖が解かれる」。復活祭の意味をいっているのでしょうか。今もパレスチナの地は紛争が絶えません。年末年始にガザ地区で大きな犠牲をはらったのは記憶に新しいところ。もちろん当時から「ユダヤ対イスラム」という対立があったわけではないものの、厳しい戒律はときに摩擦を生じます。そのような環境で、互いに相手を責める(攻める)罰の連鎖を解くことに、イエス・キリストの誕生と復活の意味があったのか・・・。正しいかどうかはご指摘いただくとして、私は勝手に納得したのでした。
さて、絶えぬ紛争は「ネガティブなカレンシーの交換」として説明できます。「やられたから、やり返す」すなわち「罰の連鎖」です。ほしくもないものをもらうと、どうしてもやり返したくなるもの。上司から批判ばかりされていれば、あるいは無視され続ければ、部下は力を発揮しない、という「ネガティブ・カレンシー」で返します。プロジェクトリーダーが、関係者に情報開示しなければ、関係者もこのリーダーと積極的に関わらない、という形で「ネガティブ・カレンシー」を返すでしょう。まあ「罰の連鎖」とは大げさに聞こえるものの現実はそうです。また当事者たちが気づかぬままに、この連鎖は進行してしまう。昨日もあるマネジャーが、部下にやったことが、自分に返ってきていたとは気づかなかった、もっと意識したい、といっていました。知らない間に進むのが「カレンシーの交換」です。なにも紛争地域でなくても、職場でも家庭でも起こっているものです(職場や家庭が紛争地域というところも珍しくないですけど)。
そのような連鎖を「愛」でたつのがキリスト教の本質なんだろうな。あなたは愛されている。だから隣人を愛しなさい。それはリスクを伴う。だからあなたに勇気をあたえよう。信仰がなくても、この取り組みから学ぶところ大でしょう。
クリスチャンのみなさん、復活祭おめでとうございます。(勝手な思いつきで書いてしまったので、不愉快であればすみません。)
2009/04/12
2009/04/09
邦楽の時間
ブログの間隔が空きすぎている、と友人の柴田亮平君にしかられてしまいました。私の言い訳は、クライエントの話しに触れてしまいそうになるのでためらうことが多い、です。とはいえ、表現に工夫して、乗り越えるとしましょう。
さて、昨日は学生時代からの友人、井上正広君の細君、美和さんも出演する「桐韻会」の定期演奏会を楽しみました。邦楽に馴染みがあるわけではなく、聴いてもその良さがよくわからない私ですが、昨夜は感動しました。こんなにすばらしいハーモニーが、箏、十七弦から奏でられるのか・・・。すっかり魅入ってしまったのです。
私の関心は、例によってこのハーモニー、シナジーの生まれ方。リーダー格の方が曲を引っ張っているようではあります。それでも互いに耳を澄ませながら、他の演奏者との境界を越えていくような感じ。各自が自分の足で立っていなければいけない、でもひとりでは曲にならない。そこがおもしろい。もちろんこれはラテンも同じですが、弦には弦の世界があるなあ、邦楽の世界はなにか日本人に訴えるものがあるなあ、と感服しました。そしてなにより美しい音色に感動したのでした。邦楽に触れる機会がないのは、惜しいですよ。
もうひとつ、音楽とは関係ないことで。
演奏会のあとに井上君が話しをしていた男性数名は演奏家の夫たちではないかと、勝手に想像しました。妻が演奏するのを支える夫たちのコミュニティがあるとしたら、これもおもしろい。
夫婦はどのように影響を及ぼし合ったのでしょうか!興味はあったものの、真実を知るのは恐いと感じ、昨夜は訊きませんでしたが・・・(井上君はジャーナリストとして大活躍している人です)
すばらしい演奏会を、美和さん、ありがとう!
さて、昨日は学生時代からの友人、井上正広君の細君、美和さんも出演する「桐韻会」の定期演奏会を楽しみました。邦楽に馴染みがあるわけではなく、聴いてもその良さがよくわからない私ですが、昨夜は感動しました。こんなにすばらしいハーモニーが、箏、十七弦から奏でられるのか・・・。すっかり魅入ってしまったのです。
私の関心は、例によってこのハーモニー、シナジーの生まれ方。リーダー格の方が曲を引っ張っているようではあります。それでも互いに耳を澄ませながら、他の演奏者との境界を越えていくような感じ。各自が自分の足で立っていなければいけない、でもひとりでは曲にならない。そこがおもしろい。もちろんこれはラテンも同じですが、弦には弦の世界があるなあ、邦楽の世界はなにか日本人に訴えるものがあるなあ、と感服しました。そしてなにより美しい音色に感動したのでした。邦楽に触れる機会がないのは、惜しいですよ。
もうひとつ、音楽とは関係ないことで。
演奏会のあとに井上君が話しをしていた男性数名は演奏家の夫たちではないかと、勝手に想像しました。妻が演奏するのを支える夫たちのコミュニティがあるとしたら、これもおもしろい。
夫婦はどのように影響を及ぼし合ったのでしょうか!興味はあったものの、真実を知るのは恐いと感じ、昨夜は訊きませんでしたが・・・(井上君はジャーナリストとして大活躍している人です)
すばらしい演奏会を、美和さん、ありがとう!
2009/04/07
2009/04/05
今年であった新入社員
5日前に学校を卒業した若者が、すでに社会人として始動し始めています。
ある新入社員研修を担当しました。50名あまり。男女半々。10000倍ぐらいの競争を勝ち抜いてきた人たち、とうかがっています。みんな優秀な人たちだと思いました。課題、問いかけに対するレスポンスが早い!これはちょっと前の新入社員とは違う、トレーニングされている、と感じさせます。
一方で、違和感を感じたのも事実。万遍なく何でもできが良い、というのはかわいくない。頭がよくて、かわいくて、人当たりも良い、そのうえコミュニケーション能力もあるなどという若者は、以前は少なかったのではないか。このできのよさは何なんだ!トレーニングされている、というより、むしろブリーディングされている(この場合、仕込まれている、改良されているというイミ)印象なのです。つまり、家庭教師がつき、ピアノを習い、進学塾に通い、子供の頃からバレエかサッカースクールで過ごす。そして、インターナショナルスクールで英語づけ。その成果が出ました、というような。ブリーダーに育てられたきれいなお犬様のような・・・。
うーむ、これは、貧富の差がいよいよ拡大している証かもしれません。一方で粗野な青少年の問題について毎日のように聞かされています。
できのよい若者が世相の反映と考えると、複雑な気持ちであります。
ある新入社員研修を担当しました。50名あまり。男女半々。10000倍ぐらいの競争を勝ち抜いてきた人たち、とうかがっています。みんな優秀な人たちだと思いました。課題、問いかけに対するレスポンスが早い!これはちょっと前の新入社員とは違う、トレーニングされている、と感じさせます。
一方で、違和感を感じたのも事実。万遍なく何でもできが良い、というのはかわいくない。頭がよくて、かわいくて、人当たりも良い、そのうえコミュニケーション能力もあるなどという若者は、以前は少なかったのではないか。このできのよさは何なんだ!トレーニングされている、というより、むしろブリーディングされている(この場合、仕込まれている、改良されているというイミ)印象なのです。つまり、家庭教師がつき、ピアノを習い、進学塾に通い、子供の頃からバレエかサッカースクールで過ごす。そして、インターナショナルスクールで英語づけ。その成果が出ました、というような。ブリーダーに育てられたきれいなお犬様のような・・・。
うーむ、これは、貧富の差がいよいよ拡大している証かもしれません。一方で粗野な青少年の問題について毎日のように聞かされています。
できのよい若者が世相の反映と考えると、複雑な気持ちであります。
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