またしてもご無沙汰してしまいました。この間、京都へ上洛。昨年知り合う機会を得た僧侶の方と食事しながら人生について語り合い、翌日彼の薦めもあり比叡山を歩いてきました。比叡山にいけば「一隅を照らす」運動をしている、この教育熱心なことを見てこい、といわれるのです。
比叡山をバスで登っていくと、そこが修行の場所としては極めて厳しい環境であることがわかります。修行者たちはここで自然と向き合うことになります。もちろん自然を通じて自分自身とも。人ひとりの見ている世界など小さいと気づかされるのではないでしょうか。
延暦寺を訪れて感心したのは、あちらこちらに比叡山で修行した開祖が紹介されていること。それも生い立ちから詳しく紹介されています。法然、親鸞、日蓮、一遍。鎌倉時代にひらかれた第三世代?の宗派は、みな比叡山で修行して、そこから旅立っている。会社でも学会でも自分の組織を出ることを良しとしないのが一般的でしょう。海上自衛隊の江田島で部隊を離れる隊員に対する集団暴行があったと問題にされていますが、ヤクザの世界に見られるように?、集団から抜けるのは難しいし、出てから独り立ちするのも難しい。ところが、比叡山延暦寺はこんなに大勢の開祖を生みだしているのです。講堂には叡山を開いた伝教大師(最澄)とならんで、主な出身者の肖像画が並んでいました。この懐の深さに感心してしまいました。結果的にオープンで、弟子たちを信じている組織が、すぐれた弟子を生みだすのではないでしょうか。
最近自分自身「教育者」としての意識が高まっています。私の仕事だと、教育、経営コンサルティングなど、かんがえようによってはいろいろな役割があるのです。この変化についてはまたあらためて、として、やはり次世代を育成する役割に惹かれているとしかいいようがありません。「一隅を照らす」運動について、具体的に理解していませんが、世界を見よう。小欲ではなく大欲に生きよう、といっているようです。自分自身のアイデンティティが問われる思いがしました。
2008/10/14
2008/10/02
今日から後期の授業
私は、週1回大学の授業をもっています。今日から後期が始まりました。今回は1-4年生とすべてがそろいました。彼らのキャリアにどのようにプラスの影響をおよぼせるか。1回目の授業では、いつもばらばらな感じですが、今日は思い切ってチャレンジしました。全員の心に届くように意識して。彼らにはできる、と信じて、思い切りぶつかってみようというわけです。どういう変化があるか楽しみです。
2008/09/29
日経システムズ誌に記事が載りました
『日経Systems』10月号(日経BP社)に、私と同僚入江の記事が載りました。38-39ページです。タイトルは「カレンシーの交換、その一言がリーダーシップの源になる」です。お読みいただければ幸いです。
年上の部下
年上の、あるいは自分よりも専門能力の高い部下、メンバーにどう対応するか。今日出会ったプロジェクトリーダーの方は、メンバーが情報を抱えてしまっており、組織運営に苦労していました。はっきりと「会社のためには文書にしない」といっているのだそうです。
一方、今年入社した若者が、思ったように力を発揮できずに苦労しているリーダーにも会いました。この若者、大学院をでて入社した期待のホープだったのだそうです。「元気がいい」というふれこみでした。でも今は、すっかり元気をなくしているとか。
ちょうど、ヴィクトール・フランクルを読み返していたところ。フランクルは、ナチスによる強制収容所における人間の心理を、囚人として観察した、心理学者で精神科医です。彼は、意味への意志を見いだすことが、虚無感から脱却できるかどうかを左右すると述べています。私たち、毎日の仕事を通じて意味を見失っていくところがあります。でもふとした出会いから、生きること、働くことの意味を再発見できます。たとえば、お客さんの感謝の声を聞いたり、子供の成長を感じたり。「ああ、このために生きているんだ」と思うと、生きる喜びが湧いてきます。
彼らに生きる喜びを感じさせることができれば、そのときリーダーシップを発揮したといえるでしょう。意味を感じさせることこそ、大きなカレンシーです。あす、ふたりが何かきっかけを掴んでくれるとよいのですが。
一方、今年入社した若者が、思ったように力を発揮できずに苦労しているリーダーにも会いました。この若者、大学院をでて入社した期待のホープだったのだそうです。「元気がいい」というふれこみでした。でも今は、すっかり元気をなくしているとか。
ちょうど、ヴィクトール・フランクルを読み返していたところ。フランクルは、ナチスによる強制収容所における人間の心理を、囚人として観察した、心理学者で精神科医です。彼は、意味への意志を見いだすことが、虚無感から脱却できるかどうかを左右すると述べています。私たち、毎日の仕事を通じて意味を見失っていくところがあります。でもふとした出会いから、生きること、働くことの意味を再発見できます。たとえば、お客さんの感謝の声を聞いたり、子供の成長を感じたり。「ああ、このために生きているんだ」と思うと、生きる喜びが湧いてきます。
彼らに生きる喜びを感じさせることができれば、そのときリーダーシップを発揮したといえるでしょう。意味を感じさせることこそ、大きなカレンシーです。あす、ふたりが何かきっかけを掴んでくれるとよいのですが。
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